Vol.0382  生活編 〜突き抜ける女たち〜               2006年3月18日

チャイムが鳴ってドアが開くと、満面の笑顔が出迎えてくれました。しかし、同僚として何年も一緒だったよく見知ったはずの彼女は、見たことのない顔に変っていました。
「なんて小さな顔!」
私は感嘆のあまり、思わず叫んでしまいました。彼女は産後の体重増を気にして何度かダイエットに挑んでは辛いリバウンドを繰り返した人で、かつてその経験を赤裸々に話してくれたことがありました。その彼女が見まごうほどの小顔になって、肩も腕も抱きしめたくなるほどほっそりと小柄になって立っているではありませんか!

とても健康そうで、やつれた感じはありません。長年の夢をかなえ、リバウンドのないダイエットに成功したのでしょう。私の知らない新しい表情は、勝利宣言そのものでした。
「12階まで階段で上がって来ちゃうほど身軽になって。荷物がない時だけだけど。」
と照れながら言う彼女。高層マンション暮らしが当たり前の香港でエレベーターを使わないということは、ニュージーランドでクルマを諦めるようなものです。その微笑みには揺るぎない自信と感動と誇りが漲っていました。

――――――――――――――――――――――――

これは今回の香港滞在での指折りの感動でした。しかし、香港という狭い場所では、人口だけでなく、物も、感情も、目の前で繰り広げられて行くすべてのことが、高密度でギュッと凝縮されているのです。2週間もいれば心を振るわせるようなことにホイホイ出会います。今回はそんな話を、お土産話代わりにお伝えしましょう。

別の友人は私と同年代。20年来の仲ですが、彼女は2004年の元旦からジョギングを始め、知らない間に10キロマラソン、ハーフマラソンを軽くこなし、とうとうフルマラソンに出場していました。親しい仲でもこういうことを逐一伝え合わない、ある意味で非常に男っぽい付き合いの私たちなので、私は彼女の40代になってからの一大展開をまったく知らずにいました。

(彼女が「ぜひ走ってみたかった」という、フルマラソンのきっかけになった美しい橋、青馬大橋。日系ゼネコンの技術の結晶です→)

久々に再会した彼女は服の上からでも身体が締まっているのがはっきりとわかり、表情にも顔にも、弛みというものがまったくありません。かつてお互い独身、子なしで一緒に遊び歩いていた頃を髣髴とさせるようなフットワークの良さです。相変わらずタバコを手放さず、激しい残業、出張をこなし、子どもも高校生にならんとするのに、彼女だけがどっかりと不変なのです。まるで周囲は渦を巻いて流れていく濁流。彼女はその真ん中で流れを左右に牛耳っては渦を巻き起こす中州のようです。

「走ってるとさ、頬も上下に揺れるじゃない?だからいい運動になって顔が締まって小顔になってくるのよ。」
とは彼女の弁。なるほど、そうかもしれません。ジョギングを再開して1ヶ月そこらの私にですら実感できることだったので、彼女のように休日には「私設エイドステーション」を作って4時間以上走り続ける人に言われると、心から納得できます。

しかし、小顔などは走りの「おまけ」のようなもの。40代のランナーは、もはやダイエットや美容のために走っているのではありません。そんな彼女からの東京の街を走った感想メール。
「先週末は皇居周りを走りましたが、日本はやっぱり先進国だなと思ったのが、アマチュア・ランナーのレベルが違います。ニューヨークのセントラルパーク、ロンドンのハイドパークみたい。ガッツランナーが一杯います。」

もう一人、私と同年代の別の友人は約30年ぶりにピアノを再開していました。
「子育てが一段落したので趣味でピアノを・・・」
などという生半可なものではなく、先生に師事し、朝、子どもが登校した後、2、3時間も練習するという本格的な再開です。発表会にも出れば、試験も受け、「老後のピアニスト・デビュー」の話もまんざら冗談ではないという熱の入れよう。今回、彼女の練習を実際に聴かせてもらい、不意に涙ぐむ想いをしました。

「とりあえず、テクニックをあげてバッハを弾きこなした〜いと思っています。どうしてか、バッハの音楽が流れることによってまわりの空気とか雰囲気というか、その場の色!が透明に、より神聖なものになるので、非常に惹かれるものがあるのです。やはり250年も続いているって何かあるんだよね、マイナスのエネルギーをプラスにさえ代える力とか。"ほんもの"とはそういうものだと思う昨今です。」
というのが、彼女から送られてきたメッセージ。周りの空気を変えたいという想い、努力すれば自分にそれができるかもしれないという期待はまさに"ほんもの"なのでしょう。

こうした友人たちは、完全に何かを突き抜けていました。12階まで階段で上り下りするのも、フルマラソンを走るのも、バッハに挑むのも、すべては自分のためです。そこには他人の介在がなく、「若々しく見られたい」だの「あの人に負けたくない」だのというみみっちい感情は微塵もなく、ただひたすら自分で決めたゴールを目指すのみ。とてもピュアで孤独でストイックなものです。世間の目や"年相応"と言われるものを突き抜けた先で出会う、本当の自分。その真の姿を知ってしまった彼女たちにもう後戻りはないのでしょう。私もささやかながらガッツランナーを目指してコツコツ走っていこうと思います。


******************************************************************************************

「マヨネーズ」 香港から戻るやニュージーランド・ドル急落でいささか驚いています。幸いすべて香港ドルで決済してきたため、個人的に為替の影響は受けませんが(そもそも微々たる金額^^;)、絶妙なタイミングでした。行きの飛行機で読んだ香港の新聞には、
「NZドルとポンドには弱気」
とあり、
「こういう情報が溢れているところが香港!」
と痛感しました。

西蘭みこと