Vol.0375  生活編 〜森羅万象とともにV〜                2006年1月25日

ゴボゴボゴボゴボォォォォォ〜〜〜
ものすごい音を立て、詰まっていた排水溝が貫通し、溜まっていた水は一瞬にして暗い筒の中に吸い込まれていきました。下水管の口をつついたり、使う水の量を調整したりしていたここ数日の苦労が、この音とともに霧散したのです。思わずため息が出ました。

その後すぐにキッチンの蛇口も直り、何度か開け閉めをして調子を確認しました。これも一件落着。修理に来てくれた人を次々と見送っていると、夫が戻ってきました。
「クルマはOKだ。ちょっと気になることがあるけどたいしたことじゃない。しばらく様子を見るよ。」
ということで、すべて解決です!病み上がりの善も無事学校から帰りました。

「お湯で食器洗いができて、思い切りシャワーが浴びられて、洗濯ができることがこんなに嬉しいなんて!」
自分でも笑ってしまうくらい感激しながら、溜まった家事をこなしつつ気分はルンルンでした。大のクルマ好き、仕事にもクルマが欠かせない夫もホッとしたのか、要もないのに軽いドライブに出かけてしまいました。動くのが当然のものが動かない驚きと不便と落胆。それが再び動くようになって感じる感激と便利さと喜び。単純ながら、私たちはモノとともに一喜一憂していました。

真冬にずっと水で食器洗いをしていた私は、久々にお湯で片付けを済ませ、いつも以上にくつろいでいました。ところが、「そろそろ寝ようか」という12時過ぎになって、廊下で妙な音がするのに気づきました。規則正しい機械音、モーター音のようです。不審に思って見に行くと、ちょうど子ども部屋の入り口の天井部分から、
「ウィーンウィーンウィーンウィーン」
という聞いたことのない小さな音がしています。機械類とは無縁の場所なので不思議に思って見上げていると、夫もやってきました。

ふたりで首を傾げながら子ども部屋のドアを開けて中をのぞくと、音は小さくなりました。どうも部屋の中からではなさそうです。この部屋の機械類といえば小さな目覚まし時計が一つあるのみで、カチコチという音は耳にでも当てない限り聞き取れず、廊下に響くモーター音とは別物です。

ふたりでキョロキョロしながら音源を捜しましたが、その間も音はずっと続いていました。大きくも小さくもならず相変わらず規則正しい音。廊下の電化製品は電池が入った煙探知機と電灯だけです。試しに探知機の電池を外してみましたが、やはり音は天井から聞こえてきます。やや離れた場所に下がる電灯を点滅してみても結果は同じでした。ドアを開けたり閉めたり、キッチンやリビングの方も確かめたものの、離れれば聞こえなくなるだけで音は止みません。うちは平屋なので天井の上には屋根が載っているだけです。

20分も経つと緊張感も薄れ、だんだんバカバカしくなってきました。
「寝よう。」
という夫の一言で捜査は打ち切り。
「実害がない以上、何の音でもいいや。」
という気になってきました。引っ越し当初はもっと騒々しいポルターガイスト現象もあったくらい不思議な家。今さら小さなモーター音でガタガタ言うこともないでしょう。夫が部屋に消え、私もダイニングやリビングの電気を消しながら後に続こうとした時、ふと思いついて、毎朝神棚にお供えした後に片付ける「お下がり」の塩を取ってきました。

音が最も強く聞こえる廊下の端に立つと、そこは真四角な積み木のような家の中央に位置することに気づきました。屋根の一番尖がった部分の真下に当たる場所。その時ふと、音が止みました。電気音らしくふつりと止んだのです。しかし、それにはお構いなく、私は天井に向かって冷静に塩を撒き、
「出て行って!誰だか何だか知らないけど、この家から出て行って。私たちはあなたを必要としていない。ここは私たちの家。」
と心に念じ、最後にもう一度声に出して、
「出て行って!」
と唱えて塩を撒きました。

以来、2度とあの音を聞いたことはありません。水周りの不具合もすっかりなくなり、クルマも快走しています。家やクルマの故障、善の病気、あの音に関連性があるのかどうかはわかりませんが、私は「あった」と思っています。偶然として片付けてしまうこともできますが、
「偶然じゃない。何かがおかしくなっている。気をつけないともっと他の問題が起きるかもしれない。」
と直感したところを信じることにします。そこから何かを学び、同じような状況に合った時に慌てず、先の展開を多少なりとも読めるようになるのであれば、今回の経験は無駄にはならないでしょう。                       
(相変わらず不思議な家→)

家やクルマのような血の通わないものとも、深く深くつながっている。 自分を取り巻く森羅万象とは一体なのだ―― ということを強く意識した一件でした。これはメルマガ「金色のオーラに包まれて」 に続いていく発想の転換でもありました。そう思うと、家がクルマがますますいとおしく感じられ、粗末にできないばかりか慈しみ、自然に心の中で語りかける対象にさえなってきました。

すべてのものとともに―― 2005年は私にとっての共生元年となりました。

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「マヨネーズ」
ガソリンも凍ってしまう冬の南極の寒さの中で、ある整備士だけは走行に使う車両を動かせた――という話を、本で読んだことがあります。彼は懇切丁寧に車両の世話をするばかりか、語りかけ、手を置き、一台一台を生き物のように扱うのです。

「まさか。」
と信じなければ話はそこまで。
「そんなものかな?」
と半信半疑でも興味を持てば、新たな世界が広がるかもしれません。
私は間違いなく後者です。

西蘭みこと