Vol.0371  NZ編 〜タンパ・チルドレン〜              2006年1月4日

当時5歳だったアリーナの記憶は曖昧です。覚えているのは、家族と一緒に乗っていた満員の船が浸水し始めた時の恐怖と、救助に駆けつけたノルウェー籍の貨物船「タンパ」に最初に助け出された光栄。彼女はタリバーン支配で荒廃しきったアフガニスタンから決死の覚悟で逃げ出した一群の人たちの中にいました。乗り込んだ木造船はインド洋上のクリスマス諸島(オーストラリア領)で浸水し、「タンパ」に助け出されます。以来、この人たちは「タンパ難民」と呼ばれるよになりました。それは2001年8月のことでした。

ボートピープルとして祖国を脱出した彼らの目的地は、オーストラリアでした。生き延びていくのに精一杯だった人たちは、「難民を受け入れてくれる国」というごくごく乏しい情報だけを頼りに、オーストラリアに向かったのです。劣悪な環境下、少なからぬ人が船上で力尽きていきました。しまいには沈没の恐怖にさらされながらも、「タンパ」のおかげで、夢にまで見た国を目前にします。しかし、運はここまででした。

オーストラリアは彼らの受け入れを拒んだのです。彼らに帰る場所はありません。身もふたもなく泣き崩れる彼らの姿は世界中に打電され、私たちが当時暮らしていた香港のテレビでも、髪をベールで覆った女性や髭を蓄えた男性の憔悴しきった姿が報じられたものです。アフガニスタンというまったく海に面していない国からの大規模なボートピープルという意外性もあり、記憶に残る事件でした。

世界の注目を浴びながらも行くあてのない人々に対し、唯一受け入れを表明したのが、ニュージーランドでした。ヘレン・クラーク首相は当時を振り返り、
「彼らをインド洋上の船に永遠に閉じ込めておくわけにはいかない、という結論に達した」
と語っています。すでにニュージーランド移住を心に決めていた私は、この決定に拍手喝さいしたものです。NZもオーストラリア同様、「移民に甘い国」と見られることには不安だったはずです。
「タンパの成功で、次から次へとボートピープルがやってきたら?」
政府ならずとも誰もが同じことを考えたことでしょう。しかし、この国は将来への懸念よりも途方に暮れた目の前の人々に救いの手を差し伸べることを選択したのです。

一連の救済プランは「パシフィック・ソリューション」(太平洋解決策)と称され、オーストラリアが巨額の援助と引き換えに、小国ナウル共和国に難民キャンプを設営し、国軍を出動させて難民を送り届けました。その後、NZは政府が定める難民枠に沿って段階的な受け入れを進めました。その数、133人。これには「タンパ・ボーイズ」と呼ばれる、親が同伴していない未成年の男の子37人も含まれていました。子どもたちは親の有無にかかわらず真っ先に受け入れられ、NZに渡りました。

2004年1月には、「タンパ・ボーイズ」の家族の受け入れが始まりました。2年以上息子の消息がまったくわからず、どこかで生きていてくれることを祈り続けた家族にとり、突然かかってきたNZからの息子の電話は、まさに奇跡だったことでしょう。ほとんどの家族が、息子が住むNZという国のことなどまったく知りませんでした。すぐにその国の移民局から面接官がやってきて、通訳を介しての面接が始まりました。不安と期待と――。しかし、息子とともに一家が再び一緒に暮らせる平和で安全な場所があるのならと、彼らは祖国での生活を捨て、移民官たちとともに専用機に乗り込みます。まさに脱出です。

9歳になったアリーナは昨年4月、タンパ難民の第一陣75人の1人として、クラーク首相からNZの市民権(国籍)を授与されました。命からがら祖国を出て以来の長い長い旅路が終わりました。彼女たちは4年の歳月を経て難民から国民になったのです。もう2度と戦禍にさらされることなく、女性への一切の教育を否定し、極端な女性蔑視を強要したイスラム原理主義からも解放され、家族からも国家からも大切にされ、勉学に励み、健康に育ち、自由に生きていくことができるのです。

私は難民ではありませんが、自らの意思でこの国を選び、何らかのかたちで受け入れ条件を満たし、ここに居を定めることを許された者同士として、常に難民の人たちを近しく感じています。
「あなたたち(または私たち)移民はいいけれど、難民はね〜」
という発言をキウイや移民自身から聞くたびに、我が事のように身につまされてきました。状況や方法が異なるだけで、受け入れられたことに関しては移民も難民もないと思っています。オーストラリアのようにドアを閉じてしまえば、入ることはできなかったのですから。

アリーナと一緒に市民権を授与された20歳のサルマナリは、アフガニスタンを出てから一度もアイロンを使ったことがなかったものの、最も正装して授与式に臨むため4年ぶりにアイロンを手にしました。彼のキラキラと輝く目、「キウイとしての未来を心待ちにするタンパ難民」という新聞の見出し、「善きキウイとして生きるために交通違反切符さえ切られないようにしている」というコメントが、今でも忘れられません。一度も会ったことのない彼をどれほど身近に感じたことか。私もまた、この懐深い国に受け入れられ、キウイとして生きていく、無数のタンパ・チルドレンのひとりなのです。

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「マヨネーズ」 元タンパ難民の女子高校生のスピーチを聞いたことがあります。私になど彼女の負った苦しみの片鱗すら想像できないでしょうが、彼女の一言一句が受け入れられた者のひとりとして心にしみました。

その後、たまたまトイレの洗面台の前で彼女に会い、思わず「素晴らしいスピーチでしたね」と声をかけてしまいました。"Thank you"と答えた鏡の中の彼女の気品と美しさをよく覚えています。私も生涯をかけ善きキウイを目指します。
      (スピーチの最中の彼女。英語の美しさに長男が感動していました→)

西蘭みこと