Vol.0363  NZ・生活編 〜21世紀のその日暮らしZ〜           2005年12月1日

「試されている。」
永住権申請の過程で、はっきりそう感じた私の選んだ道は、
「賢明に生きるより、真実に生きること」
でした。仕事の申し出という傍目には千載一遇の機会であっても、納得できない以上は見送る勇気を得たことで、新しい扉が開かれました。「ミュータント・メッセージ」(マルロ・モーガン著)で知った、オーストラリアのアボリジニの一部族「真実の人」族の生き方を手本に、自分の経験と照らし合わせながら、見よう見真似でやっていたことが、扉の向こうではっきりと輪郭を持ったのです。

本当に欲しいものを手に入れるためには、何かを諦めること――。
古今東西、幾多の賢人たちが説いてきた普遍のからくりを、漠然とした知識としてだけでなく、初めてかたちある真実として会得した瞬間です。
「こんなに簡単なことを悟るのに私は43年もかけたのか。」
と思うと、苦笑のひとつも出ます。しかし、一度泳げるようになれば二度と忘れないように、私はここで学んだことを一生忘れないでしょう。

考えてみれば、今までの人生でも、いつもなにかを諦めた後にこそ新しい展開が開けました。
「学費も生活費も企業の丸抱えでアメリカに留学しないか」という話を断り、アルバイトで溜めたわずかなお金を握りしめて台湾へ留学した時。
ずっと携わってきた中国ビジネスを89年の天安門事件で失い、シンガポールに渡った時。
心底気に入って買ったマイホームをバブルの絶頂で売却した時。
安定した香港での生活を捨て、ニュージーランドに移住して一からやり直すと決めた時・・・。
いつも、物事は予期せぬ展開となりました。

台湾は私のアジアの時代の幕を開け、日本以外の場所で暮らすことのあらゆる可能性を教えてくれました。シンガポールでは夫に出会い、香港のマイホームは舅姑が気に入った日本のマンションに化け、思いがけない親孝行ができたばかりか、残りの資金は7年も経ってから移住資金になりました。移住は今まで培った知識、経験をつぎ込んで成し遂げる夢のライフワークとなり、私の試みは一生涯続いていくことでしょう。

何かを諦めることは決して後向きなことではなく、前に進むための大切な手段でした。手放す時に惜しいと思えば思うほど、代わりに手に入れようとしているものの大切さを知ることができます。代わりのものが手に入ってから手放すか、できることならなにも手放さずに進みたい、というのは人情でしょうが、前者では惜しみなく与える天を、自身の人生を、ひいては自分自身をも疑ってかかることになるでしょう。何も手放さず進むことは、最も遠回りをしながら一番手に入れたいものへ向かうようなもので、あまりの遠さと負担の重さに、どこに向かっているのかさえ見失ってしまいそうです。

「与えられると信じるのであれば、できる限り真実を生きること。」
「本当に欲しいものを手に入れるためには、何かを諦めること。」
あとは、前から実践しているように、必要以上に求めず、分かち合い、運命を信じてその時々で必要なものだけを手に入れていく――。
こうしていければ、21世紀を生き抜くその日暮らしに近づけるかもしれません。天から降ってきたような永住権を手に、私はその可能性を強く強く感じました。

この地に一生留まれるという保障は、天を信じてその日暮らしに踏み出すための通行手形そのものでした。起業家として数字や業績に縛られることなく、さまざまな試みを通じて、人間の可能性を謳歌する21世紀を生きてみることができるのです。私にとり、それを試す実験場として、NZ以上に相応しい場所はありません。そこに末永く受け入れられたのですから、喜びは言葉にできません。お金よりも何よりも、喉から手が出るほど欲しかった時間、しかも無期限の時間を、永住権というかたちでとうとう与えられたのです。

もう欲しいものはありません。心の底からそう言い切ることができます。無期限の時間、しかも家族と一緒のかけがえのない時間を手に入れ、自分の中にあった最後の欲が消滅しました。残りの人生を過ごすための家、立ち上げた事業を回していくための仕事と、表向きには求めているものはあります。しかし、それさえも相応しい時期に与えられるのだと信じられるようになりました。ただ、いつ、どういう形でもたらされるのかはわからないため、日々こつこつとやりながら、「その日」を楽しみにしているところです。

欲が消えた後の心の平安をなんと表現したらいいのでしょう。自身の中に地平線を持ったとでもいいましょうか。拠り所にできる一線があるだけで感情の起伏が平らかになり、そこから掘り下がっていくようなマイナスなものが消え、代わりにたくさんの感謝と感動と喜びが満ちてきました。物事や感情の歪みが前よりもはっきりと見えるようになり、それが自分に起きればすぐに襟を正すようにし、他人に起きているのであれば元に戻るよう祈っています。

「身の丈にあった暮らしを見つけ、その維持に必要なものだけを求めて生きていくことは、できないのでしょうか?」

穏やかなテ・アナウの夕刻の誰へともない問いかけは、12年の年月を経て答えを得ました。もう2度と新しい生き方を迷うことはないでしょう。与えられた時間にただただ感謝しつつ、一刻一刻を丁寧に生きてみます。それがつながって1日となり、1ヶ月、1年となって、私の人生になっていくのです。どうかその一生が、自分たちからすべてが始まる第一世代として、この地に誇り高く降りたった人たちに続くものでありますように。
   
(惜しみなく与えられたこの地での時間。感謝しながら生きてみます→)

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「マヨネーズ」 ビックリな長さになりましたがいよいよ「完」です。ご高覧に感謝します。

西蘭みこと