Vol.0362  NZ編 〜ラグビーW杯情熱クーデター〜           2005年11月28日

11月18日早朝(NZ時間)、キウイによるクーデターがありました。舞台はニュージーランドから地球半周分離れたアイルランドのダブリン。ヘレン・クラーク首相を先頭に、平和を愛する人々らしく笑顔を絶やさず、断固とした正面突破で無血クーデターを決行しました。

携えていた武器はたった一つ、「情熱」。

ラグビーの2011年ワールドカップ(W杯)。開催地として名乗りを上げていたのはNZ、日本、南アフリカの3ヶ国。日本、南アフリカを中心に果敢な誘致合戦が繰り広げられる中、NZは大きく出遅れていました。少なくとも世間ではそう見られていました。しかし、18日の国際ラグビーボード(IRB、本部:ダブリン)による候補地投票では、下馬評で最も劣勢とされていたNZに軍配が上がりました。かなり手応えを感じていた南アにしてみれば、まさにクーデターでした。
      (いつも行っている「イーデンパーク」。W杯の決勝戦はここで♪→)

新聞は「クラーク首相がクーデターを称賛」という見出しを掲げ、電光石火の誘致成功がいかに予想外だったかを正直に伝えました。ここでW杯の経緯を簡単にお話しておきましょう。87年から始まった4年ごとに開催されるラグビー世界一を決める大会で、観客動員数ではオリンピック、サッカーW杯に次ぐ、世界三大スポーツ大会の一つです。NZは初回にオーストラリアとの共同開催で、初の開催地(決勝戦はNZ)となりました。前回2003年もオーストラリアとの共催となるはずでしたが、些細な件で候補を降り、オーストラリアの単独開催での成功を指をくわえて見るはめに。(この件に関してはこちら

それゆえ、2011年の開催は汚名を返上したいNZラグビー協会の悲願でした。しかし、それが国民的コンセンサスになっていたかというとかなり疑問です。誘致方法は協会トップのダブリン詣でなどかなり地味で、報道内容もごくごく限定的。国内の盛り上がりはほぼゼロで、ラグビー王国にあっても立候補していることすら知らない人が相当数に上っていたのではないかと思います。

「前回の苦い思いを蒸し返したくない。」
「目の玉が飛び出るような大金が動き、NZのような小国はお呼びでない。」
という、冷めた見方もあったでしょう。報道は投票前日ですら、 「南アフリカ優勢。次に日本」 と報じていたくらいです。それがフタを開けてみれば、この結果! いったい何が起きたのでしょう?

「カギを握ったのはクラーク首相」
と、個人的には思っています。なにも私だけがそう思っているわけではなく、NZラグビー協会の上層部も、
「彼女が来ていなかったら、勝てなかっただろう。」
と、率直に認めています。

人口400万人の小国首相とはいえ、彼女の政治的手腕はずば抜けています。9月の総選挙での報道を追いながら、ますますその感を深めていただけに、テレビに映し出された「してやったり」と言わんばかりの彼女の分厚い笑顔を目にした時、微笑むというより吹き出しそうになりました。
「また、やっちゃったのね?しかも国際舞台で。」
と、こちらまでニヤニヤ。

彼女の政治的手腕とは老練政治家らしい手練手管を尽くした権謀術数ではなく、意表を突くほど純粋で真っ直ぐな情熱をこれでもか、これでもかと注ぐことです。特にここ一番という時のスピーチは素晴らしく、スピーチライターが用意した原稿が彼女の言葉に置き換えられると、言葉の羅列が強くしなやかな生き物のように聞く者の心を鷲づかみにします。心からほとばしる一言一句の"力強さ"は、小手先の"上手さ"を遥かに超えており、毅然とした潔さは感動的ですらあります。

これがわずか数分の間に起きるのですから、彼女のスピーチを聞きなれていない外国人、政治家でもないIRB理事のハートをつかむことなど、たやすいことだったでしょう。しかも彼女は、こうした瀬戸際で現職首相という立場がどれだけの価値を持つのかを知り抜いています。自身の政権下で累々と積み上げたピカピカの財政黒字。国家予算の隅々まで頭に入っているばかりか、それを動かすことのできる張本人が全面的政府支援を確約しているのです。理事たちにそれ以上どんな質問があったでしょう? NZがスポンサーを見つけられないほど小国であるという問題は、一瞬で霧散しました。

彼女を支えた情熱とは、「小国の威信」ではなかったかと思います。その辺をIRBのシド・ミラー会長は、
「NZラグビーにおける情熱は、NZラグビー協会、クラーク首相、(オールブラックス・キャプテンの)タナ・ウマガ氏たちにより、それぞれ伝えられ、彼らは非常にビジネスライクな方法ですべてを丸く収めた。」
と語り、
「偉大な大会を主催するのは誇り高いラグビー国」
とも言い切っています。

ラグビーを、開催を、誇りに思うこと――。クラーク首相の演説は、二言目には金銭の話となり、金まみれのイメージが拭えなかったW杯を87年初回、つまりNZでの開催という原点に引き戻したのかもしれません。

彼女は投票直前の最後のプレゼンテーションのためにダブリンに飛び、わずか4時間滞在しただけで、今度は釜山のアジア太平洋経済協力会議(APEC)に向かいました。胸にシルバーファーンと"All New Zealand"と刺繍された特製の黒いスーツを着込み、
「APEC首脳会議にもこれを着ていくわ。せっかくの機会だからNZがW杯開催国に決まったことを知らしめなくっちゃね。」
と、熱い情熱はクーデター後も留まるところがありません。


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「マヨネーズ」 ウマガの演説もサモア系キウイというルーツから説き起こす、感動的なものだったそうです。決めゼリフは、

「NZは400万人の観衆が集うスタジアム」。

西蘭みこと