Vol.0359  生活編 〜死後の予定〜                   2005年11月13日

「ボクが死んだらさ、遺体を日本に搬送して日本式の葬式やってね。必ず湯潅してね、湯潅。あれ、あったかくて気持ち良さそうなんだよね。」
と、ごくごく普通に、
「来週のオールブラックスのイングランド戦はどうなるかな?」
と言うのと同じようなノリで、パソコンに向かいながら妻に言う夫。

「遺体搬送なんていくらかかると思ってんの?もう私たちには海外旅行保険なんてないのよ。葬式はここよ。しっかり焼いて灰になるの。灰に。」
と、これまた普通に、
「オールブラックスが余裕で勝つんじゃない?」
と言うのと同じノリで、自分のパソコンに向かいながら答える妻。
(キリスト教徒ではありませんが将来はこういうところのお世話になるのでしょう。葬儀場で→)

「え〜、搬送してくれないの?灰はイヤだよ、灰は。」
「灰よ、絶対。粉々になるの。」
というところで、電話が入り、
「もしもし。はい、前回のお見積もりの件ですね・・・」
と、一気に仕事モードに入る夫。席を外して、お茶を淹れに行く妻。子どもがいない日中の、なんということはない西蘭家の様子。

ニュージーランドの火葬は日本より高温で行い、骨が残らずすべて灰になるそうです。これはここに限った話ではなく、火葬を行う国はかなりがそうではないかと思います。香港でも故人の骨を残したい日本人遺族は特別に温度を下げて火葬してもらっていました。(個人的には日本人は「遺骨フェチ
^^?」と思うくらい骨へのこだわりが強いように思います)

実際はだいぶズレているものの、「ニッポン男児」の志高い夫にしてみれば、 遺体をきれいに洗ってもらい、(実父の湯潅に立ち会って以来、すっかりお気に入りに。「みるみる血行がよくなるんだよ〜♪」とか。まぁ、生来の風呂好きってこともあるんでしょうが)、骨になって妻や息子に拾ってもらい、立派な木箱に入った小さな骨壷に納まって、先祖と一緒に東京の片隅に眠る・・・というのが、死後のメインシナリオのようです。

「とにかくさ、私が看取ることは絶対にないから、息子たちによく頼んでおくことね。湯潅なんて日本語難しいから、思い出せなくて頼めないかもよ。」
「えっ?看取ってくれないの?」
「風水師にも言われたでしょう?私が先よ、年上なんだから。」
「でも、オンナの方が長生きするってブツブツ・・・」
(それ以上聞いてない妻)

西蘭家ではこんな風に「死後の予定」が、「夏休みはどこ行く?」とか「いつか世界一周したいね。」というのと横一列のこととして、計画の対象になっています。「死んだらだなんて、縁起でもない!」と目くじらを立てる者はいません。CDを整理していた夫が、
「これと、これと、これは棺桶に入れてね。」
と妻に頼めば、妻は妻でイギリス人のクラフターのハンドメイドのカレイドスコープ、子どもの描いた絵、家族の写真など、
「リストがないと、覚えてらんな〜い!」
という量のリクエストがあります。お互い希望の品を全部入れたら、棺桶のふたが閉まらないことだけは、今から確実です。

こんな話が日常会話と地続きで出てくるのは、私たちが輪廻転生を微塵も疑っていないからでしょう。超が付くほど現実的で合理的な私のことですから、こう信じるのもとことん納得の上で、です。

「バグパイプの音を聞くと、目頭がジーンとするほど心が揺さぶられる」
「乗馬などしたこともないのに、馬に乗って疾走する感じがリアルに思い浮かぶ」
「背後に山が迫り、目の前に海が広がる風景が(どこの国であっても)無性に心惹かれる」

などなど、今世の経験だけでは説明できないことは、枚挙に暇がありません。

誰でも初めて行った場所が妙に懐かしかったり、初対面の人なのに初めて会ったとは思えなかったりすることがあると思いますが、40年も生きてくると、理屈では説明の付かないもの、「もうこれは過去世からの縁(えにし)、他生の縁なのだ」と信じるしかないことに、かなり遭遇します。それを、 「そんなことありっこない。」 と、証明できないことを理由に拒んでいると、豊かな人生がやせ細ってしまい、もったいない気がし、いつの頃からか輪廻転生を自然に信じるようになりました。人や書物からもいろいろ学び、今では「一度しかない人生」など、まったく想像できなくなってしまいました。

家族になるのはとても縁が深い者同士だそうです。過去世では今世の夫婦や親子が逆になっていたりして、前世で親だった人が今世では子として生まれ、今世では親となったかつての子から頭ごなしに怒られたりすると、本人達は無意識でも非常に混乱するらしいです。今世の子が過去世では配偶者だったために、今世の配偶者が知らず知らずのうちに子に嫉妬したり・・・などなど、世の中にはいろいろな事例があるようで、面白いですよね。これもすべて、人があらゆる感情を学び、喜びと幸せを悟る過程なんだそうです。

「来世でもまた夫婦やんのかな、ボクたち。」
「さあね、こればっかりはご縁だから。でもきっと家族になるわよ。また夫婦になったらいいな。でも今度は私が夫かな?」
「えっ、キミがオトコ?ってことはボクは・・・」

話は湯潅など、とうに超えています。

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「マヨネーズ」 「人生は1度切りだから○○しよう」と思うより、「何度も生まれ変わるのだから、今のうちに○○しておこう」と考えると、思考がぐっと広がる感じがしませんか? 

○○は「離婚」だったり「謝罪」だったり。案外、心の奥底にあるものが浮かび上がってくるような気がします。

西蘭みこと