Vol.0348 生活編 〜自由自在〜                    2005年9月28日

「ママ、分数のギャクシュウってなに?」
食器洗いをしていると、食卓で勉強していた長男・温が声をかけてきました。「ギャクシュウって、逆襲?分数が襲ってくるの、まさか?」と思いながら、手を拭き拭き見に行ってみると、「逆数」と書いてあります。大笑いしながら、
「これはギャクスウよ。分子と分母をひっくり返すの。3分の2なら、2分の3。5分の1なら1分の5で、整数の5ってこと。」
「なんでそんなことするの?」
「え〜っと、なんでだっけ?」 
ここであっさり詰まってしまう、なんちゃってママ(笑)

子どもたちは今週から春休みに入りました。西蘭家では長期休暇の間は、朝1時間ほど勉強する約束になっています。科目は算数のみ。今でこそ、声をかければすんなり始まるようになりましたが、以前は大騒ぎでした。特に長男は激しく抵抗し、「なんで休みの時まで勉強しなくちゃいけないの?休みなんだから休めばいいじゃん。みんなもう、外で自転車乗ってるよ!」年齢も二桁となれば、なかなか弁が立ちます。しかも、読むのもめんどうな日本語の問題集、かったるいことこの上なし。しかし、私は譲りませんでした。

「よく考えてみて、1日24時間のたった1時間よ。その間に日本の小学生が習う算数をやってほしいと言っているだけ。イギリス式やキウイ式の勉強はのびのびしていて、いいところがたくさんあるけれど、ママは算数だけは日本のやり方の方がいいと思うの。繰り返し繰り返し問題をやって、覚えていくのよ。ラグビーだってそうでしょう?"前に走りながら後にパス"ってわかっていても、実際にやってみると前にパスしちゃったりして、なかなかできないでしょう?でも、何度も何度も練習すれば、いつでも後にパスが出せるようになるじゃない、算数も同じ。頭でわかっているのと、本当に覚えるのとは違うの。」

メルマガ「キウイの計算」を書いたり、経済ちっくコラム「キウイライフにひとかけらの経済を」を書き始めたりしたのは、いずれも同じ理由でした。ニュージーランド社会全体が計算に、ひいては数字に「ユルい」と感じたからです。計算高いことを奨励しているわけではありませんが、数字をギュッと把握しておくことは、お金や家計をしっかりつかんでいることにもなり、いくらあればどの程度の生活が送れるのか、逆に言えば、これぐらいの生活をするのにいくら必要なのか、という計算につながっていくように思います。

その辺が見通せていれば、「稼いでも稼いでも生活が楽にならない」という矛盾が解消したり、「生活のために」と必要以上の仕事や借金をしたりする必要がなくなるかもしれません。要は、数字や計算をどこまで自分のものにしているか、ではないかと思っています。(見栄や世間体という、数字に置き換えられないものを度外視しての仮定ですが)親としては子どもに対し、数字や計算に慣れ親しみ、身の丈にあった生活を送っていくためのお金の回し方を、自然に学んでいってくれたら、と願っています。それを実現するのに小学生の算数で十分ならば、1日1時間は非常に貴重です。そう簡単には譲れません。

小学校から大学まで日本で教育を受けた経験から言えば、「小学校の算数さえわかっていれば社会に出ても十分」と、思います。身近な例ですが、ケーキを焼こうとしたらレシピには丸いケーキ型に合わせた分量の材料が載っていたとします。ところが、家には四角いケーキ型しかありません。そこで円と四角の面積にそれぞれの厚さをかけて体積を求め、容量を比べて材料を調整する必要があるかどうかを計算してみます。調整する場合は、「50%増し」など、これまた計算します。いずれも小学校の算数でできますから、丸いケーキ型を買いに走る必要はありません。(水を入れて比べるという素朴な方法もありますが)

最初は激しく抵抗していた長男ですが、ここでの生活が長くなるに連れ、次第に態度が軟化してきました。中学校(日本では小学校6年生)に入っても繰り返し九九を練習させられ、2年前のSARSの時に日本の学校で習っていたようなこと(つまり小4の内容)を今になって初めて習うなど、彼なりに私の言わんとするところを察し始めたようでした。一番大きかったのは、どちらの国の内容が遅れているか進んでいるかという表層的なことではなく、11歳の自分にはもっとたくさんのことが理解できると、自覚したとでした。
                      
(「しっかり勉強するニャン」 見守るチャッチャ→)

「分数なんてね、仮分数や帯分数の意味、どうやったら小数や整数になったり、小数や整数から分数にしたりするのかがわかって、足し算・引き算・掛け算・割り算ができれば、はっきり言ってそれ以上勉強することなんてないの。4分の1や10分の1だけでなく、7分の1はだいたい14%、1%は100分の1っていうことが感覚的にパッとわかれば十分よ。細かいことは小数やパーセンテージでやればいいでしょう?」
「ふーん。」
息子は素直に返事をし、その日のテーマだった分数の掛け算・割り算をやり始めました。前にやった足し算・引き算をおさらいしながら「通分がないんだ〜」と、ブツブツ言っています。

私は食器洗いに戻り、自分自身が彼の年齢だった頃のことを思い出していました。小学生が持つにしてはやたらに分厚い受験参考書「自由自在」をいつも手放さず、あっちのページこっちのページとそれこそ自由に行ったり来たりしながら、気ままに、真面目に、楽しく、ひとりで学んでいました。親も先生も関係なく、中学受験をする気も毛頭ありませんでした。私にとって「自由自在」を開くことは、学ぶ楽しさの扉を開いたも同然でした。30年経った今、長男もまた「自由自在」を食卓に広げています。どうか彼にとっても、この一冊が輝かしい学びへの扉となりますように。(つづく)

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「マヨネーズ」 「ママ、お帽子かぶった子どもってなんの字?」今度は次男・善の質問。「算数やってるはずなのに?」と彼の指差すところを見てみると、「字」という漢字が・・・。

西蘭みこと