Vol.0312 NZ・生活編 〜ルーシーの手〜

老女はためらいながらも、甲に薄い斑点を散らした手を差し伸べてきました。わずかながら左右に揺れ、コントロールが効かない弱った蝶のようです。私はそっと蝶をつかみ、導くように私たちの真ん中に着地させました。年をとっていても肌の白さは白人ならではで、"fair"という形容詞がスッと頭を過(よ)ぎっていきました。
おののくような蝶を軽く押さえ、たった今作ったばかりの子ども騙しな指輪を薬指にはめてみました。ツツジのような小さな赤い花がついた指輪を、彼女は目の前にかざし、目を凝らして見た後、ニッコリと愛らしく微笑みました。私が30秒ほどで作ってしまったものが、ちゃんと指輪になり自分の指を飾ったことが、手品のように見えたのでしょう。素直な驚きが彼女の微笑みを、より無垢に、あどけなくしていました。安っぽいプラスチック・ビーズの花でも、こんな愉しみ方があるものです。

降って湧いたような話に乗って、ニュージーランドに来て初めて老人ホームの慰問に行ってきました。と言っても、歌やダンスができるわけでもなく、ピアノすら弾けません。私にできるのはビーズ・アクセサリーをその場で作って見せることぐらいです。「大丈夫よ。先週は油絵を描く人が来てくれたし。クラフターも大歓迎よ。」と、ホームの担当者に背中を押され、引き受けることにしました。彼らの年齢では視力に問題があるでしょうから、大振りでカラフルなビーズばかりを選び、自作のブレスレットやネックレスと一緒にかばんに詰め込み、ビーズとスパンコールの縫い取りのついた服に着替えて、いざ出発。     (年とともに子どもに返っていくのを感じる入居者の作品。廊下には落ち葉のスケッチも→)

行ってみると、掲示板には私のことを伝えるA4サイズの「お知らせ」が張り出されていました。雑誌からコピーしてきたらしい、なかなかセンスのいいビーズ・アクセの写真まで添えてあります。すぐにダイニングとリビングを兼ねたホールにテーブルを出し、ビーズを並べて準備完了。担当者が居合わせた20人くらいの入居者の前で、私を紹介してくれました。「興味のある人はテーブルの前に座ってよく見てみて。手作りよ」という、担当者の朗らかな声。しかし、声に釣られて動く人は皆無でした。3、4人が肘掛椅子や車椅子の中でぐっすり眠っています。どこからか、往復の高いびきも聞こえてきます。

この辺は日本の老人ホームでのボランティア経験から、完全に折り込みずみでした。そこで、担当者と私はアクセサリーを持って、座っている人たちを回ることにしました。「これは手作りビーズです」「これは釣り糸で編んでいます」と、反応を見ながら説明する私。うつろな瞳の人。興味があっても立ち上がるのが億劫そうな人。耳の遠い人。煙たそうに見る人。ブツブツ言いながら自分の世界にこもっている人。この辺もよくわかっていました。

その時、介添えを受けながら進み出て来てくれたのが、蝶の手を持つルーシーでした。彼女の手は触ってみると老人とは思えないほど温かく、掌ときたら赤子のように柔らかでした。老人の手など例外なく節くれだったシワシワと思い込んでいた私は、「なんて柔らかくて、きれいで、かわいらしい手!」と、思わず声に出してしまいました。すると、ルーシーは「今の私は、何もしていないから」と、小さく言って微笑みました。

指が長く、掌自体が大きい私の手は、まちがっても"かわいい"などと言える代物ではありません。日本にいる時はサイズの合う皮手袋を見つけるのに難儀しました。それが、こちらに来てからの水仕事と庭仕事、最近の乾燥でますます硬く荒れ、くっきりとした手相といい、「絶対にお金が溜まらない」と太鼓判を押されている指の間の隙間といい、ルーシーの手とはすべてが正反対でした。白くぽっちゃりとして、手相も消え入るように薄い、柔らかくすべらかな彼女の手。生まれつきこんなにかわいい手だったのか、何もしなくなってこういう手になったのか? 多分、前者でしょうが、彼女の言葉は心に残りました。

私もいつかこの国で人生の晩年を送ることでしょう。その時、どこでどうしているのか、今は想像もつきませんが、硬く荒れた手でもいいいから何かを作り、文章を打ち出し続けられたらと思います。遥か年下の同性の私から見ても愛らしかったルーシー。いくつかネックレスを試してみては、鏡の中の自分を見つめていたルーシー。小さくなったからだには幸せな記憶がたくさん仕舞ってあるように見えました。しかし、今はいろいろなものを諦めて、「何もしない自分」を静かに受け入れているルーシー。

私は子ども達が赤ちゃんだった頃を思い出しながら彼女の掌を愛で、彼女は彼女で、自分の手より一関節分は大きな、物珍しいアジア人の手に何度も掌を重ねては嬉しそうでした。重なった部分の温かさ。何かが通じ合っていました。いつかゆっくり話せる機会があるのなら、彼女の過ごした人生のさわりだけでも聞いてみたいものです。庭のラベンダーが咲きそろったら、たくさん抱えていって彼女やみんなを訪ねてみましょう。それまでにラベンダー・バンドルの作り方を覚えておくことにします。

******************************************************************************************

「マヨネーズ」 ルーシー以外にも唯一のアジア系女性、セラとも話をしました。彼女は目の前に座って、「日本人なんでしょう? 私は日本にも台湾にも住んでたことがあるのよ」 と、アジア人同士の気安さか積極的に話しかけてくれました。入居者の中ではかなり若い方に見えました。台湾と聞くや、私の口からは「台湾人ですか?」と、反射的に中国語(北京語)が出てしまいました。驚きながらも彼女も中国語に切り替え、「日本人なんでしょう?」ともう一度聞いてきました。彼女は広東人でしたが、流暢な北京語も話ます。しかし、何年も話していなかったようで、最初こそ記憶のひだから引っ張りだすようでしたが、すぐに淀みなく言葉が続きました。彼女もまた、異国で人生の黄昏を迎える人です。

西蘭みこと