Vol.0307 NZ編 〜ガリポリの記憶 その3〜

第一次世界大戦中の1915年4月25日未明、英仏を中心とした連合軍によって決行されたトルコのガリポリ(ゲルボル)上陸作戦。ところが、ガリポリとはその辺り一帯を指す名称で、その名を冠した町があるわけではありません。8ヶ月間に及んだ戦闘で、ニュージーランドとオーストラリアから志願したアンザック兵("Australian and New Zealand Army Corps"の頭文字ANZACから命名)のうち、キウイ2千700人、オージー(オーストラリア人)8千700人が命を落としました。イギリスから自治を認められて以来、NZが8年目、オーストラリアが14年目で遭遇した建国以来最大の悲劇でした。

今では、アンザック兵上陸地点は「アンザック入り江」、上陸した日は「アンザック・デー」と呼ばれています。1923年よりアンザック・デーには「ドーン・サービス(夜明けの礼拝)」と呼ばれる式典が行われるようになり、「ドーン・パレード(夜明けのパレード)」と合わせ、今年も全国各地でたくさんの行事が早朝から催されました。家の近所でも復員軍人ゆかりの施設、教会を中心に大勢の老若男女が未明の町を歩いたようです。長男・温もスカウト活動の一環で、オークランド市最大のドーン・サービスに参列してきました。

ただし、戦地ガリポリにまで行って犠牲者を弔うようになったのはここ十数年のことで、あるオーストラリア人が始めたという話です。参列者は年老いた復員軍人や軍関係者のみならず、政府首脳から寝袋を担いだバックパッカー風の若い人たちまで、驚くべき裾野の広さです。しかも、その人数は毎年増えているのです。今年は90周年ということもあり2万人を集め、過去最高でした。この人数では受け入れ側のインフラ、輸送手段が限界を超えるため、来年以降は人数制限を実施することがほぼ確実なようです。

「なぜこんなにたくさんの若い人が、今になって顔も見たこともない曽祖父の世代の戦争になど興味を持つのだろう?」 報道で見る現地の参列者たちは、ほとんどが楽しそうな若者のグループで、辺り一面彼らが持ち込んだカラフルな寝袋の海と化しています。あちこちにNZかオーストラリアの国旗が見え(そっくりなので遠目にはどちらかわかりません)、彼らは白い息を吐きながら、手袋をした手で温かい飲み物を大事そうに持ちながら、向けられたマイクに明るく答えています。

ある20代の若い2人の言葉は、私の問いにほぼ答えてくれるものでした。「ここまでやってきた彼ら(=アンザック兵)を想い、彼らを待ち受けていたものを考えているうちに、太陽が昇ってきて、感動的だった。これこそ小学校時代から教えられてきたこと。ここまで来られて本当に嬉しい」と1人が言えば、もう1人は「これは私たちの遺産。ここまでやって来たのは敬意の印。家でテレビを見ているのとは全然違って心を動かされた」と語っていました。いずれもオージーでしたが、キウイでも想うところは同じでしょう。

「これこそ小学校時代から教えられてきたこと」は、今でも脈々と受け継がれています。小学4年生(日本の3年生)、8歳の善でさえ、何日もかけて「アンザック・デー」「ガリポリ」「塹壕」という単語と、その意味するところを習っていたようです。NZでは、日本のようにきっちりとした時間割や教科書がないので、通常の授業を越えた課題に対し、かなりまとまった時間を割き、より深く広く学べるのはここの教育のいいところです。                                      (4年生合同の催し物にて→)

「教育」、「遺産」、「敬意」、「感動」・・・。「教育」を除いて、日本で戦争を語る時、決して口の端に上がることがないであろう言葉が、軍人や政治家ではない若い人の口からポンポン飛び出してきます。彼らは誰かに扇動されているのではなく、自ら突き動かされてここまでやってきたのです。バス一台で道幅いっぱいになってしまう道の後は、食料や水、着替えや毛布を詰めた重い荷物を背負って5キロを歩くしかありません。それは90年前にアンザック兵がたどった行程の追体験であり、実際に現地まで足を運んだ者ならではの深い経験でもあり、大勢の人がこの道のりの意義と感慨を唱えていました。

彼らの行動の大元となっているのが「教育」であることは、間違いなさそうです。それは何も学校の授業に留まりません。家族の中で繰り返し語られてきた一家の系譜、親や先祖を敬う自然な気持ち、キリスト教的な倫理観など、すべてが教育の場だったはずです。個人的にはこれに加え、時期は違えても全員が移民としてこの地に降り立った民族として、過酷な状況の中で何度も試されてきた不屈の精神、家族の絆、個人の尊厳、他者への思いやりなどが、数々の教育を根底から支えたのではないかと思っています。

ガリポリは風化とは無縁です。時を経て、世代を超えて人々の中に生き続けています。ここで暮らし始めて1年にもならない私たちでさえ、この地名が脳裏に刻まれました。NZ空軍中将ブルース・ファーガソンはスピーチの中で、"Anzac Day remains pre-eminent in our historical memory. "「アンザック・デーは我々の歴史的記憶の中でも依然、突出したものだ」"と語っていました。「ガリポリは歴史ではなく、生き続ける記憶なのだ」と感じたところと、ピタリと重なる"our historical memory "という一言。一世紀近い年月を経ても、歴史的評価や位置づけの枠にはまらない、しなやかな史実。「多分それは、あの日とあの作戦からいまだにたくさんのことを学んでいかなくてはならないからであろう」というファーガソン中将の言葉は、この国の多くの人々の気持ちを代弁しているのでしょう。(つづく)

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「マヨネーズ」 ひょんなことからビーズ道具一式を持って、1人で老人ホームの慰問にいくことになりました。「子ども相手ならしたことあるけど」と自信なげに言うと、ホームの担当者は明るく、「同じようなものよ♪」と、励ましてくれました。がんばりましょう。

西蘭みこと