「西蘭花通信」Vol.0296 生活編 〜地の利・天の利〜       2005年3月29日 

「おやっ?」
と思いながら、軽く立ち止まり、雑踏の中で自分の身体に耳を澄ましてみました。もちろん、何も聞こえてきません。ただ、頭痛一歩手前の頭が重い状態で、心なしか呼吸も速くなっている気がしました。たいした変化ではありませんが、その時点での「快感」から「不快感」を差し引いたら、明らかにマイナスです。
「やっぱり、そうか。」 
私は妙に納得して、塵一つ落ちていないピカピカの床を人の流れに交じって足早に歩いていきました。
「とにかく、ここを出よう。」

セント・ルークス。オークランド西方に位置する一大ショッピング・エリア。
高層のショッピングセンターを中心にたくさんの店が軒を連ねています。広い立体駐車場もあり、買い物、食事、映画とあらゆるニーズに一つ屋根の下で応える便利な場所です。ショッピングセンターのコンセプトをそのまま具現化した全天候型、年中無休、空調完備で、人気店を揃え、デパート、フードコートも併設し、訪れる人をできるだけ長く留めることを念頭に造られた建物です。それゆえ、いつ行っても混雑しています。

香港にもこの手の施設が多数あり、狭い場所ゆえに超高層の一大複合コンプレックスを形成しています。高級ブティック街の上に50階近い高層ビルが何棟も乗っかり、それがオフィス、ホテルに分かれているといったあんばいで、出入りする人の数は平日でも万を下りません。私は長らくそうした場所を愛し、勤務もしてきました。開店前、閉店後の人気(ひとけ)のないブティック街の磨き込まれた床に、ハイヒールの音を響かせオフィスやタクシー乗り場に急いだものです。休みの日もベビーカーを押して出かけて行きました。それが今では頭痛を覚えるようになったのですから、変れば変るものです。

ニュージーランドに移住してきてから、緑の近く、土の上で暮らしているせいか、回りの環境、特定の場所から受ける影響に、とても敏感になった気がします。最初は思い過ごしかと思っていましたが、今では自分の感じるところを信じるようになりました。というのも、
「人間はあまりにも物質的な生活を送っているうちに、こうしたサインを受け取る能力を大きく退化させてしまったのではないか?」
と、思い始めたからです。

飼い猫ピッピのガン闘病中、こちらが良かれと思ってあげる食べ物や水、薬などを、ピッピが頑なに拒む時がありました。もちろん、大人しく受け入れる時も、あまりにも弱って意思表示のない人形のような時期もありましたが、拒む時こそピッピの意思を感じました。それは食欲がない、吐き気がするといった体調不良を越え、強い意思を持った拒否でした。後になって拒んだ理由がわかることも多々あり、正確な予見に驚かされました。急激に体調が悪化したり、自分で食べたり飲んだりできるようになったり、ある時点以降、医者に言われた通りの投薬が彼を救うより苦しめるものになっていたり、私にはわからなかったことを、ピッピはちゃんとわかっていたようなのです。

以来、見よう見まねで私も自分の身体に聞き耳を立てることを覚えました。そんな中である場所に行くと、足元からワーッと力が湧き上がってきて元気が漲ってくるのを感じるかと思えば、別の場所ではわずかながらも不調を感じ、不快になることもあるのに気付きました。始めは、
「気のせい?」
と思い、2回目以降は
「意識しすぎ?」
とも考えましたが、今は感じるところを素直に受け止めるようにしています。

どういうことかと言うと、特定の場所でいつも感じることを計ってみます。そこで感じる「快感」から「不快感」を引き、「プラス」であればなるべく足繁く行って、エネルギーをもらってきます。「マイナス」であればエネルギーの持ち出しになりますので、なるべく近付かないようにします。というか、行く気が起きません。プラスマイナスが「ゼロ」の中立地帯もあります。海岸や山の頂上のような大きな場所から人の家まで、何かをはっきり感じることもあれば、何も感じずに「ゼロ」ということもあります。

これでいくと、NZは間違いなく大きな「プラス」です。家族全員、ネコまで含めて目に見えて元気になり、精神的にも安定しています。香港でも問題を感じていたわけではありませんが、今の全員の溌剌さを見るとかなり消耗していたのかもしれません。兄弟げんかの激減も子どもの精神状態を顕著に反映していると思います。ネコの毛艶の良さなど信じがたいほどです。住んでいるメドウバンクは水と緑に恵まれた「プラス」。自宅と庭は「かなりのプラス」で、在宅をここまで楽しんでいるのは生涯初めてです。 (←水と緑のメドウバンク)

高層のショッピングセンターはいくら高級でも、私にとっては全般「マイナス」。店によっても、ある中華系スーパーのようにいつ行っても店員が大声でののしり合い、店全体が雑然とし、長くいると気持ちが毛羽立って来る「マイナス」な場所から、買い物に通うグレン・イネスの商店街のように次々と顔なじみができ、つい長居したくなる「プラス」の場所までいろいろです。好きな場所は当然「プラス」で気持ち良く過ごせます。

と言っても、これらは証明しがたい感覚的なものです。人によっても、年齢によっても感じ方が違うでしょう。場所そのものも変っていくようで、ワンツリーヒルは「プラス」ですが、「ゼロ」に向かって来た気がします。(木がなくなったからでしょうか?) なので、「ふーん」と聞き流していただくしかないような話なのですが、最近はこんなことを考えています。そして、「地の利」の次は、タイミングや物事の方向性というか、運命の大まかな流れを知る「天の利」が少しでもわかるようになれば・・・と、さらに一層いろいろなものに耳を傾けていこうと思っています。
(これについてはまたいつか)

西蘭みこと