Vol.0270 「生活編」 〜サンタはうちにやって来ない〜

12月に入って早々、家族全員が食卓についていた時のこと。私は唐突に、「今年からサンタはうちに来ないかもよ」と切り出しました。驚いて顔を上げる息子たち。黙ったままの夫。当然ながら、子どもたちは「どうして?」と同時に聞いてきました。「それはね、クリスマスのお祝いをしないから。」 これまた同時に、「どうして?」

「ニュージーランドはクリスチャンの多い国でしょう? イライジャの家みたいに毎週日曜日に教会へ行って、その後も外で遊んだり、出かけたりしないくらい一生懸命キリストのことを信じている人がたくさんいるの。でも、うちは全然関係ないでしょう? だから、クリスマスの時だけお祝いするのは、本当のクリスチャンの人に悪いような気がしてきたの。楽しいことだけ一緒にやって、普段は教会にも行かないし、キリストにも興味がないっていうのは、やっぱり良くないんじゃないかなーと思って・・・」

心なしか軽くうなずく温。「サンタが来ないとプレゼントはどうなる?」といった面持ちで不安気な善。「飾りつけもお祝いもしないつもりだから、サンタさんは来ないかもよ。もしかしたら来るかもしれないけどね。だから今年からプレゼントはパパとママが2人の欲しいものを買ってあげるわ。善は自転車が欲しいんでしょう? 温はスカウトのキャンプに行きたいんだよね? それは両方ともOKよ。約束する。」

今度はかなり納得気味にうなずく温。ややホッとしながらもまだ訝った表情の善。彼は6歳だった去年のクリスマスイブに、「どうしてもサンタさんに会いたい。クラスメートのトーマスはスコットランドに帰ってた時、おじいちゃんの家のお屋根の下(屋根裏部屋のことか?)で会ったって言ってたよ」と、毛布にくるまりながら11時過ぎまで、がんばって起きていたものでした。それが1年後に突然、「サンタはうちには来ない」と宣言されたら、「ガ――ン!」ともなりましょう。
(←サンタを待ちくたびれて寝てしまった去年の善)

この件に関しては、事前に夫に意向を伝えてありました。今年からハロウィーンを祝わないことにしたことは、「ハロウィーンの死」(Vol.255)の通りですが、その時から漠然と、「クリスマスはどうしよう?」と考えていました。「キリスト生誕とサンタは別物」という屁理屈もこねられなくはないので、「ツリーやリースくらいなら飾ってもいいかな?」という思いもありました。しかし、もしもイライジャ家の子どもたちに、「どうしてクリスマスを祝うの?」と聞かれたら、答えに窮してしまうことは目に見えていました。「無理がある。」そう思った時、何もしないでおこうと腹を決めました。

12月に入るや、近所でも大通り沿いに生木のクリスマスツリーを売る仮設テントがポツポツ立ち始めましたが、逆に言えばそれ以外、私たちの生活圏で目立ったクリスマスらしさはありません。ドアにリースを飾る家や、窓越しにツリーの電球が輝く家というのも、驚くほど少ないのです。香港では11月頃から、ショッピングセンターの全館挙げてのデコレーションは言うに及ばず、目抜き通りにも光の帯が続きます。40階以上あるオフィスビルやホテルまでが建物の側面全面をキャンバスに見立て、無数のライトでトナカイに乗ったサンタを描き出すなど、毎年壮大なイルミネーションが冬の街を飾ります。夜ともなれば、数百戸が入居するマンションのそこここの窓からツリーの明かりが漏れ、クリスマスカードを万国旗のように窓に飾った家がたくさんありました。

しかし、その中に実際のクリスチャンがどれくらいいたことでしょう? ほとんどの香港人はクリスチャンではありません。長年のイギリス植民地下でクリスマスを祝うことのみが定着し、生活の西洋化や商業主義がそれを強力に後押しした結果、クリスチャン不在の盛大なイベントのみが市民生活に深く根付いてしまったようなのです。信仰と無関係なだけに、その派手派手しさは尽きるところがなく、飾りつけの豪勢さを競う挙句、ショッピングセンターにはてんこ盛りのオーナメントをぶら下げた、ゆうに3階分はある巨大なツリーがお目見えし、普段は殺風景なオフィスビルの入り口でさえ趣向を凝らしたツリーが、こうこうと明かりを灯し夜遅くまで瞬いていたものです。

今思い起こせば、その無軌道、無責任な祝い方をクリスチャンも、そうでない人も、街を挙げての余興として楽しんでいたように思います。私もさんざん楽しみました。かなり遅くに残業を終えエレベーターホールに出た時、輝くツリーが夜の街を背景に待っていてくれ、その美しさに疲れも忘れて見入っていたこともありました。ただし、それはクリスチャンではない人が絶対多数を占めている街にのみ許されるお祭り騒ぎであり、ここのように信仰を持つ人が多数を占める場所では慎むべきことのように思われました。彼らの信仰と宗教に、私なりに敬意を払いたいのです。かくして今年のクリスマスはツリーもパーティーもないまま静かに過ぎていきます。

子どもたちが私の突拍子もない思いつきを、どう思ったかはわかりません。ティーンエイジャーともなれば、クリスマスには待ったなしに出かけていくようになるでしょう。それが時間の問題であるからこそ、今のうちに私の本心を伝え、それを態度で示したいと思いました。「あなたの神に祈りなさい」というマザー・テレサの言葉が、ことのほか心に響く2日間です。

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「マヨネーズ」 それでもクリスマス・ソングを耳にすると、ふと目頭が熱くなるような想いを味わうことが毎年あります。何度も何度も輪廻転生を繰り返す中、いつかどこかでキリスト教徒としてこの日を待ちわびていたことがあるのかもしれません。

西蘭みこと