「西蘭花通信」Vol.0265  生活編 〜返礼〜                2004年12月8日

彼女は小さな子ども2人と、大きなスーパーの袋2つを携えてやってきました。2年ぶりの再会。てっきり途中でスーパーに寄って買い物を済ませ、クルマに残しておけない生鮮食料品を、うちの冷蔵庫に入れておくために運び込んできたのかと思いました。ところが、2つの袋はおみやげでした。ここでは手に入らないのが一目瞭然な高級煎茶、日本の麺類、乾物類、オーストラリア産の有機ひやむぎなどが、重みで袋が破けそうになるほどどっさり入っていました。それに、
「みことさんの近所には韓国スーパーがないから。」
と、韓国製のしょう油、大福、豆腐、更に小さな缶に植えられた三つ葉まで!

「ランチごときのご招待で、どうしてここまで?」
と、ただただ驚く私。まったく意味がわかりませんでした。日本からの食材は、彼女にとってもさぞや貴重なものでしょう。
「それをこんなにたくさん持ってきてくれるというのは、どういうことなんだろう?」 
他にもお客さんがあったことから、私はそれ以上切り出せず、頭の中を「???」でいっぱいにしながらもありがたく頂戴しました。

その後、彼女からのメールで真意がわかりました。
「食材は以前みことさんがわざわざ日本から送ってくれてありがたかったので、ぜひどうにかお返しがしたかったのでした」
とあったからです。そう言えば昨年SARSで帰国している際、彼女が体調を崩し食欲をなくしていることを知り、
「小さいお子さんがいては、さぞや大変だろう。」
と、ふりかけだのお茶漬けのりだの、食物検疫に引っかからなそうなものを見繕って送ったことがありました。メールで指摘されるまで、私はそのことをすっかり忘れていました。

「そうだったのかぁ!」 
大袋に入った返礼の意味がわかり、改めてありがたさと嬉しさがじわじわとからだの隅々に広がりました。不思議なくらいたくさんある一つ一つのものに、思いが込められていたのです。そういうことであれば、こぎれいに包まれた、いかにもお礼然としたものをいただくよりも、彼女にとっても大切なはずものを惜し気もなくビニール袋に入れ、無造作にいただく方が遥かに感動的でした。しかも、彼女らしくもあります。メールを読み返しながら、私は遅まきながら感謝の気持ちでいっぱいでした。(←嬉しい再会の時)

贈り物にはそれがどんなものであっても、必ずメッセージが添えられていると思います。誰かに何かを贈るという行為そのものが、意思表示になるからです。心からの想いを品物に代えて贈る場合もあれば、こちらの意図を挟みこんで強い期待を込めながら贈ることもあるでしょう。果ては祖父母が孫におもちゃをあげるように単純に相手の喜ぶ顔がみたいとか、審美眼に自身のある人がセンスの良さを賞賛されたいなど、贈る側の自己都合を反映したものもあります。

メッセージが正直に出てしまうからこそ、私は贈ることに一切の見返りを求めません。できる範囲で良しとするものを贈り、想いを伝えるだけです。贈っても必ずしも喜んでもらえるとは限らないので、お礼を言われれば素直に嬉しいものです。それが今回のように、自分でも忘れていたことを相手がいつまでも忘れずにいてくれたのであれば、嬉しさは何倍にもなりましょう。見返りを期待しない以上、彼女に食材を贈ったことは、私の中ではとっくに完結した過去でした。物忘れが激しいのも、たまには幸いするようです。

贈り物でも返礼ともなれば、伝えるところがあって当然です。これについては忘れられない思い出があります。数年前、当時の香港ではまだ手に入らなかったものを、日本へ出張に行った夫に百円ショップで買ってきてもらい、数人の日本人の知り合いに贈ったことがありました。自分が使ってみてとても便利だと思ったからです。しかも100円ともなれば、気軽に贈れるというものです。ところがそのうちの一人が、
「うちも夫が日本に出張に行ったので・・・」
と、菓子折りを届けてくれました。どうも見ても1000円は超える化粧箱に入ったお菓子です。私は正直、絶句しました。

その菓子折りはよく東京からの出張者が、「これみんなで食べて」とオフィスに持ってくる、いかにも空港で売っていそうなものでした。奥さんに、
「西蘭さんのところのお使い物にしたいから何か買ってきて。」
と言われたご主人が、言われた通りに買ってきたのかもしれません。贈られたらすぐに贈り返す・・・日本人同士であれば、ごく普通のことなのかもしれませんが、そういうしきたりから遠ざかって暮らしている身には、その化粧箱には、「借りは作りたくありません」
というのし紙がかかっているように見えました。

その夜、菓子折りを置いたテーブルを挟んで夫と向き合い、
「100円が10倍になって戻ってきたね。」
と苦笑し合ったものの、普段なら目のない日本のお菓子にはとうとう2人とも手をつけませんでした。お互い心のどこかに、「これは受け取れない」という想いがあったのでしょう。翌日、会社から戻ると子どもの友だちが遊びに来ていたとかで、菓子箱は空になっていました。空箱を見てホッとしたことを今でも覚えています。

予想外だった1年半ぶりの返礼の品。これからありがたく味わうことになるでしょう。その度に彼女が示してくれた、お互いあまりよく知らない同士であればなおさら心に響く、飾り気のない親密さを嬉しく思うことでしょう。私はその返礼に三つ葉をかわいがり、感謝の気持ちと末永く続くであろう友情を、大切に育んでいきたいと思います。

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「マヨネーズ」 
ところが三つ葉を育てるのは思ったより難しく、鉢植えか地植えかで迷っています。枯らさぬよう、食べ尽くさぬよう、絶えさせぬようがんばりまーす♪

西蘭みこと