Vol.0262 「生活編」 〜ミセス・ダレカ その3〜

「"手抜き主婦"から足を洗おう。」 ミセス・ダレカに続く決意をした以上、私の進むべき道は一本だけでした。結果が同じである(もしくはそう見える)ことを前提にした場合、主婦の"手抜き"は効率の良さ、ひいては本人の有能さの証明になることから、往々にして賞賛されるべきものです。実際、大多数の主婦はそれを目指しているはずです。その証拠に"手抜き主婦"を自認する人のほとんどが主婦業に一家言を持っており、額面通りに受け取って「さぞやいい加減でずぼらな主婦なんだろう」と鵜呑みにしてしまうと、彼女たちの自尊心を傷つけてしまうことになります。

「同じ場所に行くのであれば最短距離を、同じ結果ならできるだけ要領よく」と思うのは、主婦業に限らず当然なことです。ただし、"結果"ではなく、その"過程"を重んじた場合、そうとは限らなくなってきます。高山植物を愛でる人は自動車道が山頂近くまであったとしても、クルマで目いっぱい上がろうとは考えないでしょう。私がこの家から学んだことは、まさにそこでした。結果的にきれいに片付いている(もしくはそう見える)という山頂のみを目指すのではなく、美しい花を探すことを楽しみつつ、登っている山そのものを愛でようと思ったのです。

花は見つからないかもしれないし、自分で登れば疲れもするし、時間もかかるので他のことができなくもなりましょう。しかし、"脱手抜き主婦"を宣言するのであれば、そんな文句もありません。ミセス・ダレカの存在を知り、彼女が磨いたこの家をくまなく見せてもらった時、自分の中の既成概念が驚嘆と感動のうちに崩壊していくのを感じました。その心地よさは、目の前の蝶が柔らかい出来たての羽を広げ、ちっぽけなさなぎから飛び立っていくのを見つめていた子どもの頃に遡る、新鮮で純粋なものでした。もちろん、"過程"重視で"結果"がおろそかになっては本末転倒です。完結してこそ慈しみの証となりましょう。一仕事をやり終えてこそ、次があるというものです。

所詮、主婦業というものは連綿と続く労働で、これほど"結果"が刹那的な仕事もそうありません。延々と作った料理はあっという間に平らげられ、きちんとベッドメイクをしても次の朝には跡形もありません。子どもは片付けたばかりの部屋でおもちゃを広げ、赤ん坊は取り替えたばかりのオムツでおしっこをするものです。ネコでさえトイレの掃除が終わるのを待って用を足します。何が快適なのか生まれたての赤ん坊もネコもよくよく心得ているのですから、この労働に終わりはありません。

そうであるのならなおさらのこと、主婦業で"結果"ばかりを追求すると、空しくなってくる可能性があります。「どうして片付けたばかりの部屋を汚すの?」「こんなに一生懸命作って、食べるのは5分!」と、力が抜ける思いもするでしょう。しかし、「きれいで気持ちがいいから、わざわざここでおもちゃを広げるのだろう」、「おいしいからこんなに早く平らげるんだ」と思えば、「やれやれ、また一から出直しか」と苦笑しながらも悪い気はしないはずです。自分の慈しみに応えてくれているのだと考えれば、空しくはならないと思います。

そうは言っても、「そんなの理想論。いつまで続くことか」という意見もあるでしょうし、「西蘭さんちに行ったけど、普通の家と何ら違わないよ。特にきれいなわけでも、ピカピカに磨かれてるわけでもない」という忌憚のない評も出てくることでしょう。"結果"重視でも"過程"重視でも目に見えるものに大きな違いがあるとは思えません。それが目に見えたミセス・ダレカの所業は、やはり人並みはずれた"神様のお遣い"ならではのものではなかったかと思っています。だからといって、「私にはできない」という結論にはならないはずです。少なくとも、私はそう思っています。

"結果"が自他ともに認めるところであるとすれば、"過程"は多分に自分のみ知るところのものです。他人の目にほとんど触れない部分で自分がどう振舞うか、そこから先は本人の思い入れ次第でしょう。しゃがみこんで雑草を抜くか、除草剤を撒くか、プロを雇って管理してもらうか、結果的に草がなくなるという点では変わりありませんが、庭そのものへの思い入れには隔たりがあるように思います。「プロに頼みたいけど高くつくので自分でする」というのと、「自分でしたいから自分でする」というのも違うはずです。

今はお寺に弟子入りした、小僧さんの気分です。本来なら誰よりも早起きをして庭を掃き、雑巾がけをし、玄関先に水を打ち・・・としなくてはいけないところですが、まだまだ道は遠く、朝は子どもの朝ごはん、弁当作りに追われ、家のことが始まるのは9時過ぎからです。しかし、時間が許す限り朝の2、3時間は家磨きに使うようにしています。その間に洗濯だの買い物だの普通の家事も入り込んできますので、なかなか思うに任せませんが、この家がミセス・ダレカに愛されていた頃のイメージを大切にしながら、時には実際の写真をめくりながら、これからも初心を忘れずにいこうと思っています。
(←今のキッチン)

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「マヨネーズ」 ご近所の話によれば、ミセス・ダレカはこの界隈に家を買って引っ越していったそうです。お子さんは今でも息子たちと同じ小学校に通っているので、本気で探せば本人を見つけられるでしょう。もちろん、そんなことをするつもりはありません。彼女に教えられたことで十分です。人としての営みを続けていく限り、教えは一生私の中で生きていくはずです。ニュージーランドに降り立って3日目で授けられた、まさに新生活を始めるに相応しい出会い、いつまでも大切にします。

西蘭みこと