Vol.0259 「生活編」 〜巨星落つ〜

11月に入るや、インターネットでニュースをチェックするたびに、「どうかトップ記事になってませんように」と祈っていたことが、とうとう本当になってしまいました。先週11日、外から戻ってパソコンの前に行くや、目に飛び込んできた「アラファト議長死去」の悲報。巨星落つ。中東が宗教的にも地域的にも混迷の度合いを深める中、40年近く輝き続けた希望の星の最後の瞬きが消えました。

中東という場所もイスラム教という宗教も、私には縁遠いものですが、彼の笑顔が好きでした。小作りな顔にはどっしりとした意思の塊のような鼻を中心に、人を惹きつけて止まない笑顔がギュッと詰まっていました。闘争に次ぐ闘争を乗り越えてパレスチナの悲劇を生き抜き、小さな身体でさまざまな歴史的シーンに君臨し続けた、まさに「中東の不死鳥」と呼ばれるに相応しいカリスマでした。

湯水のごとくに金銭を使い、道化のようにさまざまな衣装を身にまとっては、前近代的な"王様"であり続けたイラクのサダム・フセイン前大統領とは対照的に、パレスチナ自治政府のヤセル・アラファト議長は、白地に黒の格子の質素ながらも威厳のあるカフィーヤ(アラブずきん)をまとい、軍服姿で通した"指導者"でした。その姿こそが解放闘争の象徴であり、闘争が終わっていないことを内外に印象付けるものでした。

パレスチナの悲劇については私が語るまでもありませんが、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三大宗教がそこに位置するエルサレムを聖地としたころから、連綿と続く宗教・民族闘争の舞台となってしまいました。特にイギリスが第二次世界大戦への協力を取り付けるために、パレスチナ人、ユダヤ人双方に対し、戦争が終わったあかつきには独立国の建設を支援するという二枚舌の密約を結んだことで、問題は迷宮入りしてしまいました。同一の場所に対立する民族・宗教の二つの独立国! 彼らの悲願を逆手に取った暴挙です。

大戦後、国連が中心となり問題の火種である聖地エルサレムを特別管理地区として、パレスチナ人とユダヤ人それぞれの独立国家建設を進めようとしましたが、物事はそう簡単に行きません。イスラエルとして一足先に独立国となったユダヤ人勢力と足並みの揃わないパレスチナ人は、他国も交えて4回の中東戦争を戦い、そのたびに軍事、財力で優位に立つイスラエルが領土を拡大し、最終的にパレスチナ全土と聖地エルサレムまで奪ってしまいました。

パレスチナは翻弄され続けます。国際社会は正義に味方するそぶりを見せつつ、ある時はユダヤ人の富にすがり、ある時はアラブの産油国に媚を売り、米ソの冷戦を持ち込み、時々の「強者」に味方してきました。ですから、何も持たないパレスチナが主役になり優勢だった時期はほとんどありません。アラファト議長は50年代にゲリラ活動から身を起こし、69年にパレスチナ解放機構(PLO)の議長、自治政府の首長となりましたが、晩年はイスラエルの軟禁下にあり、病状悪化で渡ったフランスで生涯を閉じました。

議長に関し、忘れられない二つのシーンがあります。一つは93年にクリントン米大統領の取り成しで、イスラエルのラビン首相とパレスチナの暫定自治で合意し、歴史的な両首脳の握手が実現した瞬間です。長身の若いクリントンが満面の笑みで両腕を広げる前で老政治家二人が感無量な表情で握手を交わしています。この写真が世界中に打電された時、「パレスチナに平和が訪れるかも」と誰もが思ったことでしょう。たいした問題認識のなかった私ですらそうだったのですから、当事者たちの期待はいかばかりだったか!
(←新聞も当時の写真を掲載して彼の死を悼みました)

94年にラビン首相とアラファト議長はともにノーベル平和賞を受賞。しかし、95年のユダヤ人過激派によるラビン首相の暗殺で、事態は暗転します。以降、イスラエルは急速に右傾化し、開いた対話の扉は堅く閉じられてしまいました。歴史に"もしも"は禁物ですし、両首脳の握手の後も二つの民族が平坦な道を歩めたとは思えませんが、「あの暗殺がなかったら・・・」と、どうしても思ってしまいます。

もう一つは2001年の「9・11」直後、多数の報道陣に囲まれた顔面蒼白の議長の姿です。唇を小刻みに震わせながら「我々じゃない、我々じゃない」と犯行を否定していました。彼は犯人の一味としてあらぬ猜疑の目を向けられることよりも、これに乗じて同じイスラム教徒として連座させられ、独立国建設の野望が遠のいてしまうことを、何よりも恐れていたのだと思います。実際、世界は「イスラム教徒=テロリスト」という単純な図式を描き出し、それを助長するようにパレスチナの過激派「ハマス」が自爆テロを繰り返し、国家建設の夢を手が届かないほど遠くへ押しやってしまいました。

議長にはなんとしても、独立国の大統領になって欲しかったです。南アフリカのマンデラ元大統領と並ぶ、末永く記憶される平和のシンボルになって欲しかったです。個人的にはパレスチナの独立は彼らだけの問題ではなく、人類の悲願ではないかと思っています。イスラエルとパレスチナ両国が並びおおせてこそ、ノアの方舟、出エジプト、十字軍、中東戦争と神話から現代へ至る中で、人類が繰り返し犯してきた過ちを克服し、民族や宗教の違いによる疑心暗鬼を乗り越えたことの象徴になるはずです。議長が見届けられなかったその日を、彼が希望通りエルサレムの地に眠る日を、ぜひいつか目にしたいものです。

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「マヨネーズ」 ユダヤ人から怒られそうですが、個人的見解なのでご容赦ください^^; 以前はユダヤ人の友人が多くいましたが、議長を悪く言う人は不思議といませんでした。

西蘭みこと