Vol.0249 「NZ・生活編」 〜癒しの大地・慰めの緑〜

実は"癒し"という言葉をずっと避けてきました。英語の"healing"も同様で、口にすることも、書くこともはばかってきました。言葉の意味するところは理解しているつもりですし、好ましいことであるとも思っています。しかし、昨今のニューエイジ・ブームに端を発してか、言葉だけが一人歩きし、手垢にまみれ、本来意味するところからずい分かけ離れてしまったと思ってきました。

ある芸能人が「癒し系」だったり「癒し顔」だったりするかと思えば、どこぞのリゾートのスパで「癒される」こともできたりと、なんとお手軽な意味合いになってしまったことでしょう。数年前に元祖「癒し系」芸能人の一人、SMAPの草なぎ(さすがに出ませんね、この字・・)剛さんが、ある女性雑誌のインタビューで「癒し系」と呼ばれることに対し、「何でも許してくれることを強要されているみたいで負担」というような発言をしていました。人気商売のアイドル系の人にしては妙に潔く不快感を示していたのが印象的でした。

「カレシって癒し系なの♪」という言葉には、「カレって何でも受け入れてくれるの♪」というニュアンが濃厚です。言いなりになるカレ、そういうカレシを持ってシアワセなアタシ、それを人に伝えてちょっと自慢したい気分・・・どれも「癒し」の意味からは、遠いものに思われます。なぜ「カレシってとっても優しいの♪」ではいけないのでしょう?それが単に流行のせいだとしたら、「癒し」という言葉には不幸な話です。

「癒されたい」という言葉に至っては、私には「こちらのわがままを全部聞いてほしい」と自動翻訳されます。まさに剛クンが「許されることを強要されている」と感じていたゆえんで、言われる方にはたまったものではありません。いかにも口答えしなそうな、ほんわかムードの女優が「癒し顔」なのも、スパでお金を払ってリラックスすることが「癒し」であるのも、要は自分にとって気持ちのいい、都合のいいことを指しています。この手前味噌な一方通行の感情こそ、私が避けてきたものでした。

ニューエイジへの造詣が深い人ほど、この言葉を簡単に口にしないことにも気づきました。かと思えば、「私ってヒーラーの素質があるの」などと言い出す人もいて、大いに驚かされます。「人を癒せる」と言って憚らない姿勢にこそ、私は緊張を強いられ、心が落ち着くどころではなくなってしまいます。この場合、往々にして、"褒め上手"、"慰め上手"と言うべきところではないかと個人的には思いますが、こんな古色蒼然とした言葉では、本人が望むありがたみが醸し出せないのかもしれません。

「癒し」に対しこんなにも身構えていた私ですが、ここニュージーランドではつくづく「癒される」と感じているのですから皮肉な話しです。「リラックスする」「気分がいい」「ホッとする」「心が洗われる」「気持ちが落ち着く」「元気になる」など、どんな類義語でもしっくりときません。身も心も本当に癒されています。何に癒されているかといえば、ずばり、大地にです。(←いつも大きな空が)

ゆるゆると続くなだらかな丘陵。それを覆う緑に、埋もれるように建つ家々。シティーの一角を除いて、視界を人工的に遮る建物はほとんどなく、どこに目を向けても風景の半分以上、場所によっては7、8割が空という開放感。なぜか水平線のかなたまで続く自然そのものの海以上に、大地に癒されています。その理由を移住してきて以来、漠然と考えてきました。そして気づいたことは、大地には人の営みがあるということです。

人口約100万人が暮すオークランドで、これだけの調和と慎ましさが残っていること自体、驚異的なことです。この規模の大都市であれば、とっくにありとあらゆる手段を駆使した開発が進み、後戻りができない状態になっている場所がもっとあっても不思議ではありません。しかし、思わず眼を覆いたくなるような乱開発、虚栄と虚飾にまみれた醜い都市開発、経済効率一辺倒の殺風景な近代的ビル群は、驚くほど少ないままです。

そうは言ってもかつてはレインフォレストに覆われていた地。北半球から持ち込まれた木々や芝が占める今の緑は自然ではありません。しかし、人為的過程を経てさえも、どこにあってもゆるやかな稜線の端から端まで目にできるような地形には、大きな力が備わっているようです。これに豊かさを象徴する水のある海、数々の貯水池、それらを結ぶ河が加わり、まさに風水で言う最良の形状が至るところで拝めることになります。

大木の枝先から、足の下の地面から何かが直接からだに流れ込んで来るような、不思議な実感。今はその穏やかな感覚をただただ受け入れようと思います。

たゆたう癒しの中で目を閉じ、感じるままに受け止めよう。
いつか大地の語りかけに、耳を傾けられるように。                             (つづく)

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「マヨネーズ」 10月9日のオークランド市長選で、著名実業家で政治的背景を持たない中道左派のディック・ハバード氏が、現職国民党系のジョン・バンクス氏を破って初当選しました。さっそくバンクス氏が掲げていた東オークランド高速道路構想が廃案となりました。家の近所で大規模公共事業が始まる可能性がなくなり、住人の一人としてはホッとしています。この"modest"で"decent"な自律調整の妙にこそ、"開発"か"調和"かで岐路に立たされているオークランドの未来への、可能性の片鱗を感じています。

西蘭みこと