Vol.0242 「NZ・生活編」 〜運命の河〜

このメルマガでも常々述べているように、「この世に偶然というものはない」ということを信じるようになってから、ものの見方がガラリと変わりました。大げさに言えば世界が違って見えるほどの価値観の転換でした。「そうか、あの時の苦労はこんな風に実を結ぶためだったのか!」とか、「あの一言を耳にしなければ人生はどうなってたんだろう?」などと、かなり前、時には何十年も前の出来事や言葉が見事に現在に生きている妙を知るにつけ、「単なる偶然」とその結びつきの意味を見逃してしまうか、関連性にさえ思い至らないことが、どんなに惜しいことかと思うようになりました。

ですから、二度と会うことのない行きずりの人の物言いや物腰がいつまでも忘れられないとすれば、それは「何かの啓示なのかもしれない」と思うようになりました。その時々では事の重要性にまったく気付いていないものの、たった一言がその後の人生に大きな影響を及ぼしていることを知るにつけ、驚きを禁じ得ません。小学校の後半3年間を受け持ってもらった担任の先生の言葉の重みを悟ったのは、成人してからでした。長男がその年齢に差しかかり、再び先生の言葉を思い出すのは決して偶然ではないでしょう。

ニュージーランドでは旅行中といえども、印象に残る人に数多く出会いました。これまでも「ミニ西蘭花通信」などで何人もの人を取り上げてきましたが、私にとってもう二人、決して忘れえぬ人たちがいます。たった一度の出会い、午後のほんの一時をともにしただけながら、海に注ぐ大河の始まりが雪解け水の一条であるように、私たちの移住計画の源になったかもしれない人たちです。それに気付いたのは移住を申請してからでしたが、こうしてこの地で暮してみると、彼らの言わんとしていたことが手に取るようにわかり、改めて一期一会だったことを痛感しています。

それは今から11年前の1993年のことでした。南島を旅行していた私たち二人はマウントクックからの帰り道、ランチを食べ損ねてお腹を空かせたままクルマを走らせていました。人口の少ない南島の田舎ですから、次の町まで百キロ近くあり、着いたところで食べるところなど一軒もないような場所でした。「もうすぐ3時だし、お昼は抜きかな・・」と、半ば諦め気味でした。その時、庭にブランコのある家が忽然と現れ、"Motel"の文字が・・・。普通、NZでモーテルと言えば駐車場付きの素泊まりの場所ですが、周りにまったく建物が見当たらないこんな場所では、食事を出さざるを得ないはず。「ランチにありつけるかも!」と、私たちはいそいそとクルマを降りました。
(↑南島の雄大な眺め。テカポ湖)

建物は思ったより大きく左手が庭に面したダイニング、右手はこぢんまりとしたリビングのようでした。大柄のスラリとした若い女性が、不意のアジア人のお客にやや驚きながらも温かく迎え入れてくれました。「今からでもランチができる?」という私に「こんな場所だから、できるものは限られてるけど」という答え。「やった!何か食べられる」 立派なメニューを渡され、けっきょく、その日の「シェフのお勧め料理」だった山鳥をメインに、予想外にもフルコースを食べることにしました。

彼女が引っ込むとシーンとしてしまうほど、人気(ひとけ)のない場所ながら調度品、メニュー、彼女自身、ひいてはモーテル全体の雰囲気が田舎の片隅とは思えないほど洗練されたもので、オーナーの思い入れが隅々にまで宿るような心地よい場所でした。簡単なサンドイッチで済ませてしまうにはあまりにも惜しく、「急ぐわけでもなし。こんなところでフルコースもいいかな」と思いました。回りを見渡しつつ、「本当に宿泊客がいるんだろうか?」と二人で話していると、戻ってきた彼女が見透かしたように、「あなたたちが今日初めてのお客さんなの」と言いながら、ワインを注いでくれました。

供された前菜も山鳥も信じられないほどのおいしさで、「おいしい!うそみたい」と繰り返していた私は、徐々に言葉少なになっていました。こんな場所でこれだけの料理が食べられるとは、どう考えても信じがたいことでした。味付けも盛り付けも都会の高級店となんら変わることはなく、初めて食べた山鳥の歯ごたえと噛みしめるごとに口の中に広がっていく野趣に溢れた味は、なんとも言えないおいしさでした。「いったいどういう場所なんだろう?」感動と驚きに浸りながらも頭の中は疑問でいっぱいでした。

「何もないところでびっくりしたでしょう?」 彼女は食後のコーヒーを飲む私たちに親しげに話しかけてきました。遠くから訪ねてきた友人をもてなすような、自然な人懐っこさでした。ここまで人里離れた場所であれば、人恋しくもなるでしょう。「何日も誰も来ないこともあるわ。店というものがないからアイスクリームまで自前なのよ。冬には2メートル近い雪に閉ざされるしね」と、彼女は不便な暮らしを挙げつらいながらも、穏やかな微笑を浮かべていました。そして、「でも、ここへ来て本当に良かったと思ってるわ。私たちはオーストラリアから来たの。」と、思いがけない身の上話を始めたのです。(つづく)

******************************************************************************************

「マヨネーズ」 9月11日は、1973年にチリのアジェンデ社会主義政権がピノチェト陸軍総司令官の軍事クーデターで倒された、"もうひとつの「9・11」"でした。在住の読者の方からメールをいただくまで思い及ぶことすらありませんでしたが、ピノチェト政権末期の暴動の渦中にあった15年前に比べ、停電もなく、素晴らしい朝を迎え「チリも随分と平和になったモノだ!」と感慨深かったそうです。「9・11」以降、世界がきな臭くなるばかりの中、平和になっている場所があることを知るだけでも、大きな慰めとなりました。明日の19日はチリ建国記念日だそうです。

西蘭みこと