2005年3月28日(月) イースター休暇最終日
外出やお客さんで3日間めいっぱい遊んだので、きょうは家でゆっくり過ごしました。子ども達は部屋のキャビネットを徹底的に片付け(もちろん親に言われてですが)、私は丸ごと買ってきたかぼちゃでパンプキンパイを焼き、キッチン周りを片付け、みんなのサンダルを洗い・・・と、たまの(?)主婦業に勤しみました。子ども達は、片付けている間中、雨だったのに、終わったとたんに晴れ間となり、弾かれたように飛び出していきました。 こうして長いようで短かったイースター休暇が終わります。
うちでは一番小さい袋のイースターエッグ・チョコとホット・クロス・バンを買ったくらいでしたが、ホリデーとしては夏の終わりのひと時を満喫するには最高の4日間でした。さぁ、もうそろそろ4月。仕切り直してまたひとがんばりしましょう。
(←ホット・クロス・バン。十字の印が十字架につながることから、イギリス人たちがよくイースターに食べるそうです。この時期は山積みで売っているので試しに買ってみましたが、スパイスがきつめで子どもには不人気でした。小学校の縦笛で最初に習う曲名が「ホット・クロス・バン」とか)
2005年3月27日(日) 善が8歳に
イースター休暇2日目の昨日は、夫の友人夫婦をお招きしての恒例(?)ガーデン・ランチ。私は初めてお会いする方々でしたが、話が弾んで1時から肌寒くなってきた6時まで飲んだりおしゃべりしたりで、楽しい午後でした。おいしい手打ちうどんの秘訣も伝授していただき、「これからの寒い季節に、腰のある本格的なうどんが食べられるかも♪」と、かなりの期待。できたらパスタメーカーを手に入れましょう。やっぱり均等に伸ばして切る作業は機械に任せた方が断然ラクでしょうし、結果的に打つ回数が多くなりそうですし。おみやげにいただいたものも、本当にきれいでした。
3日目のきょうは、善の8歳の誕生日。朝から「ハッピーバースデー、トゥーユー♪♪」と歌って、そそくさとプレゼントを渡すことに。というのも、友人と予定していた遠出を決行することになり8時前にはお弁当持ちで家を出てしまいました。6時に起きた時は土砂降りでしたが出発する頃には雨も上がり、一路北上。目指すは白砂で有名なオマハ・ビーチをさらに北上したゴート・アイランド。そこで底がガラス張りになったグラス・ボトム・ボートに乗り、海洋保護区に指定されている辺りの景観を海の中まで楽しみました。
グラス・ボトム・ボートと言えば、プーケットや沖縄が思い浮かんで、ガラスの下には色とりどりの珊瑚や熱帯魚が・・というイメージですが、ここはニュージーランド。珊瑚の代わりに昆布のような大きな黒緑の海草、カラフルな熱帯魚の代わりに大小さまざまな鯛・・・と、どこまでもストイック。「きれーい♪」と言う代わりに思わず「おいしそー♪」と言ってしまったくらい(笑) でも、鯛は大きいのになると100年も生きるそうで、50センチぐらいの大物になると眼差しが哲学的でしたよ(笑)
海洋保護区の利点や問題点などガイドさんの説明も社会的で、海と生きる人たちの本音を漏れ聞くことができました。これでも夫婦で元スキューバ・ダイバーなので、海でのエチケット破りから商業的な無軌道は、あちこちのスポットで見聞してきました。ですから、穏やかな口調で語られる彼の熱い想いには感じ入るばかりでした。こうした海洋保護区は現在、ニュージーランドの海岸の1%を占めるに過ぎないそうですが、2010年までには10倍の10%に増えるそうです。
その後は、友人とっておきのプライベート・ビーチのような場所に移動し(本当に帰り間際まで私たちだけでした)、天然のカキやウニに舌鼓を打ち、
子ども達は魚を釣ったり泳いだりとNZらしいホリデーを満喫しました。
(→友人の指導のもと“海の男”を目指す温と善)
帰り際にひょっこり出会ったキウイの女性は日本に12年も住んでいたとかで、急に話が盛り上がりました。一緒にいた芝犬の「フォックス」と「ベア」も1年半ぶりにおにぎりをもらって、さぞやビックリだったことでしょう。「おすわり」だけが日本語で「Osuwari」だったのがなんともかわいかったです。本当にお天気に恵まれ、ごほうびのような休日が続いてます♪
(←わーん。おにぎりのノリが取れないよぉぉ・・・と焦る、フォックス)
2005年3月25日(金) ごほうびの1日
きのう書いた通り、朝6時に友人に電話。外は大雨で、家の中でも雨音がよく聞こえます。「残念〜TT」と言って電話を切った後、再びベッドへ。子ども達の朝食はピクニックのランチになるはずだったマカロニ・サラダ。しかし、その頃にはとっくに雨も上がって晴れ間が見えていました。そうこうするうちに友人から電話が入り、「やっぱりどっか行こう!」という話になり、急きょ行き先を近場に変更して、出発することに。あわてて1キロ半のチキンをから揚げにしました(汗)
連れて行ってもらったのはオークランドをずっと東に行った、マレタイ・ビーチ。さすがに海好きな一家のお気に入りだけあって、自宅からクルマで30分ちょっとというのが信じられないくらいステキな場所♪ 子ども達は魚釣り&いいかげんブギーボード(「ビート板じゃないんだからバタ足しないでぇぇぇ、善」^^;) 私は今年初泳ぎ。
(←休日初日でこの閑散♪)
しかも、「コックルス」という貝が、笑いが止まらないくらい採れて(そばにいたアイランダー系の人に名前を聞いたらはっきり「ココ」と言ってましが)、静かで、人が少なくて、本当に穴場。子ども達が釣った魚はネコのご飯になりました。1日中お天気に恵まれ、ゴッキゲンな1日。最近、何かと忙しかったので、まるでごほうびのような日でした。おかげさまでイースター休暇は好調にスタート♪
(→砂の中に手を入れただけでザクザク。足の下はみなこの貝でしたよ。1人50個までは自由に採っていいそうです。明日はワイン蒸しにボンゴレかな?)
2005年3月24日(木) イースター休暇突入
明日から4日間のイースター休暇に突入します。オークランド脱出組は今夜あたりから出発しているようです。明日は遠出の予定でガソリンを満タンにしてきましたが、今は大雨。休暇中ずっとお天気に恵まれないという長期予報も出ており、どうなるんでしょう? 「天気ならお弁当持ちで7時半集合♪」という、「さっすがキウイくん!」と膝でも打ちたくなる企画@@! とりあえず6時に電話で確認し合うことに。学校の遠足のノリですよね^^;
大雨にもかかわらず、大中小の"西蘭ボーイズ"は、いそいそお出かけ♪ 今年から温も善もラグビーのチームを変え、オークランド大学のタマキ・キャンパスでやっている、「ユニバーシティー・ラグビー・チーム」に入ることになり、今日はシーズンを前にみんなで出初式(夫曰く・・) メインゲストは現「オールブラックス」の監督グラハム・ヘンリーと、元監督のブライス・ロープという豪華さ! 「これって日本でいえば所属しているサッカーチームにジーコ監督が来るようなもの♪」と夫はホクホク、善もさっそくサインボールをもらってきました。
(↑メインゲストの2人)
私も行く気満々だったのに、いざ出発となったら横殴りの激しい雷雨にもかかわらず、外に出ていたピッピが帰ってこず、なんと居残りTT レインコートを着て近所を探し回ったものの影も形も見えずTT けっきょく1時間も経ってから、あまり濡れた形跡もないまま帰ってきました。ピッピはけっこうしっかり(ちゃっかり?)しているので、きっとどこかの家の軒下ででも雨宿りさせてもらっていたのでしょう。あ〜ん、出初式、行きたかった(泣)
(←お騒がせネコ)
2005年3月23日(水) 運命は火曜日から
毎週火曜日に、お慕いしている風水師のケン・リー先生の干支占いがメールで送られてきます。それを見て、「ふーん、今週はこんな感じかー」とそれからの1週間を見通します。当たる時も当たらない時も、少しズレて指摘されたことが起きる時もあり、いろいろですが、私には「好調・不調」「高・低」「静・動」といった大まかな流れが合うので、毎週楽しみにしています。
さて、相変わらずバッタバタの今週の「トラ年」は? "何かスペシャルな出来事が起きる予感。心がウキウキするでしょう"と、のっけからいいじゃないですかぁ♪ なんだろう?"スペシャルな出来事"って? "仕事運は大吉。これまで越えられなかった壁を突破し、一皮むけます。この機会にステップアップを目指せば必ず収穫が" うーん、これもいいけど、収入がなくても大吉ぃ?(自爆) "壁を突破し、一皮むけます" にはちょっと期待。まだ何も起きてないので、あと5日でむけなくっちゃ(汗) "健康運は悪くありませんが、持病が再発する恐れも" 私にとって持病に近いのは高血圧くらい。しかし、これも最近は赤ワインのせいか、かなり下がって薬要らず。でも、「気を抜くな!」ってことでしょう。はーい(素)
「ウシ年」ながら "超多動"の善は? "運気は改善に向かうでしょう。同僚や友人の助けが得られるとき。公私ともに発展が望めます" ・・・って、運気がワルかったんですね、アレで^^?"故郷を離れて暮らしている人は突然ホームシックに襲われるかも" う〜ん、これは心当たりアリ。先日さかんに香港時代のお手伝いさんを懐かしがっていたので。これってママの家事が至らないってこと^^? "体調を崩しそう。病気にならないよう注意" これは大当たりで、いきなり物もらいになりました。
(↑学校の水泳大会。泳いだらいきなり物もらいにTT)
一方、「イヌ年」ながら"微動"の温は、"心の乱れが体調に影響します。夜も眠れず疲れがたまるでしょう" うーん、これは心当たりナシ。毎晩爆睡してますよ、彼は。"軽い運動で健康管理を" これはぜひとも。ラグビーシーズンも始まったことだし、ちょっとキツいでしょう、その体重^^; "収入があっても支出が多く、きつきつの生活。無駄遣いをやめましょう" この辺は普段からしまり屋なのでOKそう。一時、物珍しくてやっていた買い食いにも飽きたみたいで、最近はさっぱり。"恋のきっかけはあなたのすぐそばにあります。出会いを求めるなら目を凝らしてみて" 出会い自体を求めていなさそうで、これもパス。今はスカウト&そのキャンプとチェスのことで頭はい〜っぱい♪
ラグビーの本場にまで来て、子どもラグビーのコーチを引き受け"多動"ぶりに磨きがかかっている「ウマ年」の夫はいかに? "仕事でピンチに追い込まれそう。ここで焦ってはいけません。だれかに頼ると話がこじれ自分の首を締めることに" な〜んと、まだ仕事もないのに早くもピンチ? 頼れる人も周りにいませーん。ただ"地道に努力すれば解決できます"は今週に限らず、いつも肝に銘じておかねば。"あなたの近くに女神がいます"ときて、2人で顔を見合せ"女神ぃ?""今週は女性の友人が親身になって悩みを聞いてくれるでしょう"とも。イースターの遠出には女友達もいることだし、悩みでも相談しては^^? 私は一皮むけるようがんばりまーす♪
2005年3月21日(月) 冬時間へ
昨日からニュージーランドは冬時間に移行しました。これで日本との時差は3時間、香港とは4時間になります。いつもと同じ時間に起きると、すでに明るくて「えっ?朝寝坊?」と思っちゃたりします。でも電気もつけずに身支度ができ、ちょっと得した気分?(その代わり日の出は見られませんが。もっと日が短くなれば、また見られるようになるんでしょう) 今朝は朝7時から近所のアイランダーくんが玄関のドアをコツコツコツ・・・。どうやら前の日から冬時間になったのを知らなかったらしく、1時間早く善を迎えに来てくれたようです^^; さすがに善も起き抜けでボーッ@0@
最近は仕事の関係などですっかりこもりがち。(日曜日は善のダンスでタカプナまで遠出してきましたが) そこで、今日は思い切って西オークランドへ。"多動"夫は無論、大喜び。ユーミンのCDなど用意して、いそいそと運転席へ。本当は行っても行かなくてもいい用事だったのですが、「せっかくの機会だし・・・」と、"微動"妻も行くことに。高速に乗っている時から、「ずい分、平坦なんだな〜」と遠くの遠くまで見渡せる雄大な眺めにびっくり。自転車でどこまでも行かれそうな、ヨーロッパ的な印象。起伏の多い東とはかなり違います。
(↑平らなので空が大っきい!)
「西に行ったらぜひ!」と密かに思っていたのがヘンダーソンにある新しい超大型スーパー「パックン・セーブ」に行くこと。この店、確か前身が生協のようなもので、そのせいかどこの店舗も広く、店頭にも在庫をぎっしり並べ、買い物をしてもビニール袋も出さず(袋を買うことはできますが)、コストを最小限に抑えた薄利多売をモットーにしている店。この潔さと経営方針の合理性に惹かれ、西蘭家のスーパーでの買い物は、中華スーパー以外はほぼここです。その超大型店があるとなれば、ちょっとはのぞいてみたいもの。
「すぐにわかるかな?」と思っていたものの、案ずるより生むがやすし。広い通りの前方に、どうやったって見過ごせないほどド――――ンとした店舗が!
(←とにかく目立ちます)
はぁ、確かに大きい@@! 買い物というより物見遊山でさっそく中へ。「カートも大きけりゃ、通路も広〜い@@!」と、二人で小声ながらワーワー言いつつ、申し訳程度に買い物してきました。白い壁のようにミルクが並ぶ、乳製品コーナーが圧巻でした。(ニュージーランドのミルクは紙パックより容量2〜3リットルの透明なプラスチック入りが一般的なので、遠目には真っ白に見えます)
たまのプチドライブ、気分転換にはもってこいでした♪
2005年3月18日(金) 早くも窓際族
3月に入って、ちょっとまじめに仕事をしている西蘭夫婦。と言っても、ビジネス立ち上げの準備なので、収入は一銭もありません(イエ〜ィ^^v) でも、そんなことは取りあえずどうでもいいのが私たち。二人ともバリバリのサラリーマン&サラリーママ時代が長かったせいか、目の前にやらなきゃいけない仕事がぶら下がったとたん、ドッキュ―――ンと弾丸のように飛び出し、も〜う止まらない? 当然、家事放り投げ状態で、早くもライフラインぎりぎり一歩手前のところまでイっており、家の中はスゴいことになってます(笑)
(←早起きは三文の得。レモンの木越しに見える朝焼け)
今日も朝9時の定時出社で(それまで新聞を読んでいたダイニングから徒歩2秒)、お互いパソコンの前にデンと陣取りカタカタカタカタ。仕事部屋にしている部屋は角部屋で、私の席は角に近い場所。それぞれ西南に面した窓なので、西日が入ってくる午後はかなり暑くなります。昼食後、「なんとなく顔半分が痛いな〜」と思いながらも、スクリーンに向かっているうちに、なんどだかどんどん痛くなってきます。「どうしたんだろう?」と、頭のどこかでかすかに考えながらも、ほとんどの部分は仕事のことを考えています。そして、急に正気に戻ったように、ハタと気がつきました。
「日に焼けてるんだ!!」 そうなんです。カーテン越しに西日を浴び、窓に向いている顔の左半分だけが、見事に(?)痛くなっているのです! 恐るべし、南半球の紫外線。本当に殺人的@@! ・・・というわけで、仕事が本格化する前からすでに窓際族の私。夫はちょっと内側に座っていて、目の前が壁なのでセーフ。しかし、超〜零細企業の身、文句など言ってられません。ガン協会が出している日焼け止めをガァァァっと顔に塗り、何事もなかったように再びパソコンの前へ。たまには反対向きに座って両面焼こうか^^?
2005年3月13日(日) 2キロの行方
ちょっとウレシかったので、西蘭家の冷蔵庫の中身などという瑣末なことを記してみます。先日、いつもの中華スーパーの肉売り場で豚挽きを2キロ買いました。キロ7.5ドル(約600円弱)は安売りです。そこはスーパーより鮮度が良く、中国人達は挽肉を赤身と白身に分けて使うので(水餃子は断然、白身です♪)、スーパーより赤身率が高く、ビニール袋にドンと入れてくれるのでプラスチックのトレーがない分、ゴミも少ないという一石三鳥で、いつも買っています。
さすがに2キロとなると奥から挽きたて(コーヒー豆じゃあるまいし^^;)を持ってきてくれました。パッと見でも「わぁ〜、ラッキー♪ すっごく新鮮」という感じでした。スーパーでは売れ残った肉を挽いて出したりもするようですが(香港では確実にやってましたTT)、目の前でブロック肉から挽いてもらえるだけでも得した気分。
その後、肉は「麻婆豆腐」、「春巻き」X味変えで2回、「中華茶碗蒸し」(本当は皿蒸し)、「肉じゃが」(でも味は紅茶)、「野菜炒め」、「坦々麺」の具、「中華トマトスープ」、「ポテトパイ」の具、最後は西蘭家のお袋の味「チャープスイ」というスープになり(ヨメとして受け継いでます^^:)、とうとう使い切りました。
(→挽肉は中華麺には欠かせません。麺をすすりながらラグビー談義中のボーイズ達)
この間、なんと8日間! 冷凍もせずチルドに入れたままだったのに、最後の最後までかなりの鮮度でちょっとビックリ&感激♪(冷蔵庫が新しいのでチルド具合がとてもいいことも一理ありますが) で、ここに書かせてもらいました。やっぱりお肉は保冷バッグを持って行ってお肉屋さんにしようっと♪ では、退散(さささっっっ・・・)
2005年3月12日(土) 私的「秋の三大祭り」
今朝は平日より早い6時起きで、キャンプに行く温と送っていく夫の2人を送り出しました。今回のキャンプ、用意から荷物のパッキングまですべて本人がやり、親はノータッチ。新しく買ったものもゼロで、「自分のことは自分で」という西蘭家が理想とする状態になってきました。しかも、子ども達自身が場所探しから企画まで担当したそうで、1泊2日で費用はなんと25ドル(約2千円)と激安!(去年は50ドルだったそう) これまた、けっこうなことです。楽しんで来るのだぞ!
先週日曜の「オークランド・インターナショナル・カルチュラル・フェスティバル」("国際文化祭")で何を観ても聴いても涙ぐむほど感動した私。今週はいそいそと
「パシフィカ・フェスィバル」
(こちらは"サウス・パシフィック・アイランダーの文化祭"ってとこです)へ。いやぁ、入口から出口までぎっしりのアイランダーくん達。褐色の彼らに交じっているだけで心からホッとします。これはもう理屈抜きの前世からのご縁か何かなんでしょう。
(→超ラッキー♪ NZを代表するサモア系ボクサーの
デビッド・トゥア
のサイン会をやってました。彼はどうしようもない元マネージャーとのしょうもない裁判で係争中。がんばって!)
「子どもがカワイイなぁ♪」「おネエさん、キレイだなぁ♪」「おニイさん、カッコいいなぁ♪」「おかあさん、おとうさん・・・太ってるなぁ(爆)」「おじいさん、おばあさん、いい味出してるな♪」と、ただただイイ感じです。民族ダンスは踊ってるのも観てるのも、み〜んな身内ぽ〜いラバラバ(腰巻き)をまとったアイランダーくん達で、子どもにはおひねりが出るなど、これまたイイ感じ♪
(→誰だか知らなかったくせに、さっそく背中にサインしてもらう善。本当にアイランダーっぽく子どもに優しくて感激♪ ますますファンになりました)
その上、これでもかこれでもかのアイランダー料理三昧♪ ニュージーランドの人気メニュー、焼いたソーセージを食パンに挟む「ソーセージ・シズレー」の代わりに、「炭火焼き鳥シズレー」やら「ムール貝お好み焼きシズレー」など、オリジナルメニューもいっぱい♪ 春雨を思いっきりふやかしてガーリックやしょう油でギンギンに味付けした「チャプチョイ」(という中国語っぽい名前で、一応彼らは中華料理としてますが、もちろん意味不明^^; これはイライジャ家に教えてもらったのでサモア版の名前かもしれません)のご飯ぶっかけメニューなど豪快料理もそこここに。いやぁ、楽しかったです。
(↑最高だったシーフード・レストランのマオリのおニイさん。彼のことはいつかメルマガにでも)
というわけで、オークランドの3月、けっこう侮れません。これから毎年こんなに楽しめるのかと思うと、本当にウレシイ(感涙) 今年はミスってしまいましたが、これに華人系の「ランターン・フェスティバル」が加われば、私的「秋の三大祭り」になりそうです。
2005年3月10日(木) 社会復帰への道?
昨日は朝7時半に善と家を出て、ダンスの練習へ。チームにたった2人しかいない男に子に、「特別なダンスを教えたい」と先生が申し出てくれ、2人のうちの1人の親として襟を正して出かけていきました(冗談^^;) なかなかかわいい「喧嘩ダンス」で、お互い冗談っぽく小突いたり足を踏んだりする真似をして、最後は仲直りするというもの。もともと大人の男性が大きなビール腹をぶつけ合ったりするスウェーデンのダンスとか。先生が子供用にアレンジし、笑いのとれる洒落たダンスになっていました。
(↑↓通学路の花々)
私も善のお相手で少々踊り(家でCDをかけて復習しなくちゃいけないんです^^;)、1時間の練習後は約2キロをジョギングして帰宅。(夫はその間6キロは走ってます)すぐに2人で朝食を摂り、あたふたとシティーへ。10時から1時間ほどミーティング。その後も2件ほど用事を済ませ、12時過ぎにいつものグレン・イネスへ。これまたいつものケバブとコーヒーのランチ。そのままスーパー3件のハシゴ。すっ飛んで帰宅し、ちょっと仕事をしたらもう3時半で、子どもたちがドヤドヤと帰宅T_T
お菓子を食べさせ、宿題をちらちら見てあげながら夕飯の用意。5時半には温が1人で夕食、6時15分にはバスに乗ってスカウトへ。同時に夫がクルマでラグビーの練習へ。善が6時半に1人で夕食、7時からテレビでマンガ。私は作ったり片付けたりの繰り返し;_; 8時過ぎに夫帰宅。2人であわてて夕食。8時45分に夫が温のお迎えに。私は後片付け、善は就寝。9時15分、温と夫帰宅。興奮しながらキャンプの話をしているのをなだめすかしてシャワーを浴びさせ、9時45分に就寝。はぁ〜=3
「なんか疲れた〜」と思わずこぼしたら、「こんなんで疲れてたら、社会復帰できないぞ!」と、鬼夫。確かに香港時代は2時半に寝ても、7時にはしれっとオフィスの机に座って仕事をしてました。それから12時間働いて飛んで帰って8時近く。ベッドに入った子どもに化粧&スーツのまま本を読み聞かせ、その日の話を軽くして「お休み♪」という暮らし。(もちろん住み込みのお手伝いさんあってのことですが)
アレを繰り返すわけじゃないので、多少忙しくてもそのうち慣れてくることでしょう。ストレス発散には庭の雑草抜き! ただ今、熾烈な"ガーデン・ウォーズ"を展開中。この話はまたいつか・・・^ー^*
(↑雑草との戦いでヘニョヘニョになってしまった100円ショップのスコップ)
2005年3月8日(火) 善の欠席
昨日は善が久しぶりに学校を休みました。病欠ではSARSで帰っていた日本以来、1年半ぶりでしょう。(日本滞在中は兄弟ともども、毎週のように医者通いしなくてはいけないほど体調を崩し、「地の利」・・・この場合は「不利」でしょうが、をつくづく感じました)どうも大大大好物のトウモロコシの食べ過ぎで消化不良を起こしたらしく(親も連座^^?)、朝起きたら下痢と軽い脱水症状による発熱が・・・。本人はよほどショックだったようで、あの天然元気印が「学校休む」と言い出し、欠席させることに。
しかし、風邪でもなくお腹が峠を越えれば元気モリモリ。朝も昼もしっかり食べ、家の中に閉じ込めておくのに一苦労。けっきょく、学校が終わってみんなが帰ってくれば、近所の子が何事もなかったようにいつも通り迎えに来て、そのまま自転車でいずこかへ・・・。
(←学校大好きなので行けないと困る?親はもっと困る^^?)
傍からみたらまるで仮病ですが(笑)、そんなことを気にする人はこの辺りには皆無です。ワーワーみんなと遊んで7時には引き上げ、もうすっかりいつもの状態に。今日は普段通り学校&柔道へ。明日はまたまたダンスのレッスンで7時50分には学校へ。元気になって何より。子どもがいると仕事がはかどらないということが、よ―――くわかりました。
2005年3月7日(月) 運命を感じた日
あれこれしているうちに、早一週間。とっくに3月です。前にもここで言った通り、3月に入るや、ちょっとまじめに仕事してました。とは言っても主婦も兼任。40分仕事しては20分食器洗い、40分仕事しては20分洗濯物干し&ネコのトイレ洗い・・・と、出社してオフィスにいるのと比べて、効率の悪いこと悪いこと。ランチだって誰かに「同じものでいいから、何か買ってきて〜」なんて振ることもできず、夫に「今日はあったか〜い麺がいいなぁ」と逆指名されてる状態;_;
香港時代も仕事を辞めてからは在宅で仕事をする兼業主婦でしたが、所詮は受注業務で仕事が入ると同時に締め切りもわかり、生活の優先順位が自然と決まっていったものでした。スケジュールによっては家事を大胆に絞り込んで対処していました。ところが自営となると、どこまで、いつまでが非常〜に曖昧で、委託するのも受託するのも自分なんですから、優先順位などあってないようなもの。かくして、生活は限りなく渾然一体に・・・。慣れて効率が上がってくるまで、ちょっと時間がかかりそうです。
そうは言っても週末は週末♪ 金曜日は開幕したばかりのラグビーの「スーパー12」の、オークランド「ブルース」対オーストラリア「レッズ」の試合を見にイーデン・パークへ。「ブルース」はニュージーランドきっての大都市を代表するスター軍団で、言ってみれば「ラグビーの読売巨人軍」。オールブラックスの選手もわんさかいます。ところがこの手のチームにとんと興味のない西蘭一家。個々に好きな選手はいても、「ブルース♪ブルース♪」の大合唱にはぜんぜんのれず。
その一方で、「レッズ」のキャプテン&キッカーは、2003年ワールドカップ決勝戦で、イギリスのジョニー・ウィルキンソンと最後の最後まで蹴り合った、あのエルトン・フラッタリーじゃ、あ〜りませんか♪(見るまで知りませんでした。ちなみにイギリスを北半球初の優勝に導いたウィルキンソンは、ラグビーの至宝として「サー」の称号まで取りました) 同じ至宝でもサッカーのベッカムに比べて超〜地味なウィルキンソン。その彼の10倍くらい地味なフラッタリー。でも、私はリーグ上がりの仕事師マット・ロジャースともども、「ワラビーズ」では大のお気に入り。こんなところで再会(?)できるなんて、さすがラグビー王国♪ 年間席も買ったことだし、シーズン中はイーデン・パーク通いが続きます。
土曜日は地元のラグビーチームに入った夫の初試合で、家族全員で応援へ。しかし、激暑で、選手も大変ながら炎天下で観ている私たちもヘロヘロ・・・。その上、自転車で行った子どもたちに付き合って私は徒歩で(!)行ったので(往復1時間!)、二重に暑かったです。試合結果は・・・言わないでおきましょう(笑) まずは、初試合ご苦労さま。結果を受けて、これからしばらく特訓だそうです。
日曜日は善のメイポール・ダンスで、ポッターズ・パークへ。何の催しなのかも知らずに出かけて行ったのに、雷にでも打たれたように感動しました。イ
ベントは「オークランド・インターナショナル・カルチュラル・フェスティバル」で、ズバリ"国際文化祭"。
(←アフリカのブルンジからの移民)
もう何を観ても何を聴いても涙ぐむほどの感動で、「これぞニュージーランドの近未来!」というデジャビュのよう。運命を感じた日でした。「来年は始まる前から終わった後まで、絶対1日中いるぞぉぉぉぉ」と誓いながらも、他の用事のために最後まではいられませんでした。残念。感動は今でも続いています。
(→善は相変わらず踊ってます♪)
2005年2月27日(日) 善のダンサー・デビュー@ドメイン
土曜日は移住に際してお世話になった日本人をお招きしての、「香港ナイト」でした。一応、中国正月祝いだったんですが、中華圏に縁(ゆかり)の深い方もなく、懐かしがっているのは家族ばかりで(笑)、ゲストは「ふ〜ん」てなもんだったことでしょう。お礼のご招待にしてはあまりにも遅くなりましたが、おかげさまでなんとかここまで来ました。これをもって基本的な生活の建て直しが一段落したことにし、3月以降は仕事の方に本腰を入れようと思っています(ホント^^?)
(→善のゲスト向けメッセージ。毎回兄弟で交代で担当)
今日は善のメイポールダンサー・デビューで、炎天下のオークランド・ドメインに行ってきました。
「テディベア・ピクニック」
というイベント名通り、テディを抱えたちびっ子がいっぱい。善たちはフルコスチュームに身を包み、始まる前からみんなハイテンション! 女の子たちは真っ白なドレスにリボンと同じ色のサッシュベルトを締め、男の子たちは牧童スタイル。これが18人も揃うとなかなか見栄えがします。やや風があったものの、ダンスは大成功。「6〜8歳の子どもが2週間の朝練でここまでやったのか」と思うと、誇らしくもありました。家族も含め、みんなが心底楽しめたのが何よりです。ありがとう、善。
(↑この後、即この通り↓)
着替えていつもの"火の玉ボーイ"に戻った彼は、さっそくロッククライミングに挑戦。温にはイベント自体が幼すぎ、ダンスの後は木陰で昼寝。ロッククライミングも「スカウトでもっとすごいのをやってるしなぁ。あのロープの結び方は弱いんだけど・・・」とかなんとか、能書きだけは立派なもんですが、結局見送り。本当は大のぬいぐるみ好きで、今でもベッドにはテディやウサギがいたりするんですが^^;
2月も残すところあと1日。今年に入って2ヶ月経過。早いですね〜@@! うかうかしてるとイースター休暇(今年は珍しく3月です)が終わって秋休みに突入してしまい、子どもと24時間一緒の日々に戻ってしまいます。あぁ、泣き笑い。
2005年2月24日(木) 踊る息子に踊るママ
「な〜んか、エンジンかかんないなぁ。睡眠時間を1時間増やしたからかな〜(自爆)」と、思っていた矢先に、「メイポールダンスの経理求む!」のメール。「メイポール」は善が突然参加して、すっかりお世話になっているダンスチーム。「よっしゃ、やろう!」と即、返事を書くと、他に手を挙げた人もいなかったようで私に決定。今週に入ってからは、この関係で毎朝学校に行っており、「息子も踊れば母も踊る」で、一緒にクルクル@@!
今日は待望の(?)衣装合わせで、女の子たちの興奮はわかるとしても、なぜか善ともう1人の仲良しの男の子ハーミッシュまで大興奮。さっそく膝のところがふっくらするニッカーポッカーに、「こんなの昔、西城秀樹が着てたよな〜(笑)」と懐かしくなるような、白いフリフリのブラウス(彼と違うのは胸をはだけないできっちりフックを止め、更に赤いリボンを結ぶこと)を着込み、ハイソックスに革靴で、王子様というよりも牧童の出来上がり!
深く考えずに先週、坊主頭にしてしまった髪は、ベネチアでゴンドラを漕ぐおニイさんたちが被っているようなストローハットがあることがわかり、問題解決。彼らの衣装をガラス越しに見ていた同級生が指を差して笑っているのを見て、先生が本気で怒っていたのが印象的でした。そうです!この手のものはやったもん勝ち、楽しんじゃったもん勝ちなんです。
「メイポールってなに?」という方(私もでしたが)、練習風景をアルバムにしたので、
こちら
からどうぞ。これで今週日曜(27日)の
「テディベア・ピクニック」
という20年以上の歴史のある大型イベントを皮切りに、踊ってすごす1年になりそうです^^; アラエッサッサ〜♪
そうそう、昨日は夫の39歳の誕生日でした。リクエストでもあり、再びブラウニーを焼きました。「バレンタインの時はコロリと忘れて真四角にしちゃったから、今回は・・・」と、ハート型で焼いたまではよかったのです。ところが、型から出すタイミングをいつもは放ったらかしにして守らないのに、今回に限ってレシピ本にある通り、「粗熱が取れたら」と早めにしたら、出す時にハートが真ん中からバキッと折れてしまい、まさに失恋マークそのものに! 「きゃ〜」と思って折れた片方を持ったら、これまた半分に@@! 慣れないことをすると、こういう結果に(号泣)
仕方なく残った半分を丸くくりぬき、上から生クリームをテンコ盛りにして妙なミニミニケーキに衣替え。本人の希望でキャンドルを一本立て(30代最後の1年なんだそうです^^)、アフタヌーンティーをしながらお祝いしました。というのもこれから毎週水曜の夜は、夫⇒ラグビーの練習(とうとうシリアスな地元チームに入りました!)、温⇒スカウト、善⇒近所で遊びまくり・・・と各人各様。みんな揃っての夕食は次の夏までお預けです。ともあれ、ステキな30代の最後を!
2005年2月21日(月) 夏をあきらめて
「夏が終わろうとしていた。」 な〜んて書くと、森 瑤子の小説みたいですが(読んだことはありませんが)、最近のオークランドはまさにこんな感じです。ところが私は、「夏をあきらめて」の研ナオコ状態ですTT(サザンという人もいるでしょうが、あの気だるい感じは「やっぱり研ナオコかなぁ」と・・・)夏の初めに、42年の生涯(当時)で、初めて日光皮膚炎に見舞われ、サンブロックをギンギンに塗りながらも、ひたすら太陽を避ける裏街道の日々。白日の下で泳ぐなんて、もっての他でした。
それでも今年は60年ぶりの冷夏だったことから、12月など「寒い、寒い」と言っている日も多く、泳がないことなどまったく苦ではありませんでした。そして迎えた夏本番の1月。さすがに暑くなり、陽射しの強さも、「これぞ南半球!(クラ〜)」というほど殺人的なものに。しかし、姑一行がやってきたりなんだりで、やはり「泳ぐぞ!」という気にもならないまま、2月に。
しかし、1月末に姑一行と小旅行に出ている間に、締め切った暑〜い家の中でノミが大繁殖@@! ネコとの12年半の生活はすべてマンション暮らしだったため、外に出たことのないネコも私たちも、ノミへの免疫はゼロ。こんなことになるなど夢にも思っていませんでした。当然ですがガンガン刺され、あっという間に足は虫さされ跡だらけに(;_;号泣) しかも、ノミは20センチぐらいしか飛べないことから、膝下から足の甲にかけて集中砲火(再びT_T)
(←「あの、何か?」)
もっと泣きたいことに、刺されるのはなぜか私ばかり!!! 夫も温も蚊に刺される程度で、週に数回あるかないか。善に至っては、「一度も刺されてない!」と断言するほど・・・。どーしてぇ<<<<?(伏) 子どもからは「ママ、どーしたの??」 夫からは「キミの生き物愛護の気持ちがノミにまで通じてんじゃないの?愛されてるねー(ニヤニヤ)」 さんざんノミ退治に励んでやっと一段落したと思ったら、夏が終わろうとしていて、本当の本当に一度も水着にならずに終わりそうです。
(→「我関せず、ZZZZZZZ」)
2005年2月20日(日) 初詣ハシゴ
日中はかなり暑いものの、すっかり秋めいてきた最近のオークランド。天気も上々なことから、前々から気になっていた郊外のボタニーの中国廟へ。インターネットで検索したら「仏教寺院」として出てきました。「仏教?道教じゃないの?」と思いながらも、住所ゲッツでレッツゴー。途中でギンギン、コテコテの中国廟を遠目に発見したものの、ネットで検索した住所と異なり、素通りして目指す場所へ。
ありました、ありました〜。まるで「太秦映画村?」というノリの大きーいのが。さっそ中に入ると、まぁ、大きいこと大きいこと。一歩足を踏み入れると、そこは中華圏で、聞こえてくるのは北京語、広東語など中国語ばかり。本堂始め至るところが建設中でしたが、大きな仏像も安置されていました。説明によると南半球最大の仏教寺院なんだそうです(設立38年の新興の一派です)。お参りをして更に中に入っていくと、本堂脇に食堂があり、100人近い人たちが食事中。信者さんたちのようです。
(←完成予定図)
「お金を払えば食べさせてもらえるかな?」と中に入っていき、「あの〜、観光がてらに来た者なんですが・・・」と中国語で声をかけると、「何人?さぁ、どんどん取って。お金?そんなの受け取ってないわよ。さぁさぁ、食べて、食べて・・・」と、紙皿にテンコ盛りになった精進料理を渡され、子どもと3人で(夫はクルマで昼寝中)、すっかりご馳走になってしまいました。おみやげにマレーシア粽(私にとってはすっごく懐かしいものです♪)を、3個5ドル(約400円)で買ってきました。
(→子ども達向けの「獅子舞教室」が開かれていました)
その後はギンギン、コテコテの中国廟へ。中国正月(今月9日)に向けてペンキを塗り替えたのか、「まだ塗れてる?」と思うくらいペンキの色が鮮やかでした。ここまでキッチュな中国廟も珍しく、大胆な色使いに度肝を抜かれました。行った時には誰もおらず、本堂には正月に奉納されたらしいサラダ油などがぎっしり並んでいました。境内はさとうきびからオレンジ、野菜、たくさんの花が整然と作付けされており、量といい種類といい、ほとんど自給自足できそうな気配。非常に気になる場所で、いつか人がいる時に訪ねてみたいものです。中華圏に20年もいると、ついついこの手の元気が出る真っ赤っか〜に惹かれてしまうものです^^A
改めて、誰にとっても幸多き2005年でありますように。
2005年2月19日(土) もう一つの現実
今週、近所のティーンエイジャーのお兄さん、デイビッドが路上で襲われました。彼は仕事を終え、家に向かって歩いているところでした。そこへ突然4台のクルマが現れ、中から20人くらいが降りてきてグルリと囲まれ、バッドで顔を殴られるという暴行を受けました。「デイビッドの一個の目ね、こーんなに大きくなっちゃって開かないんだよ」と、子ども達が興奮気味に言っていました。歯も何本も欠け、貴重品も奪われたそうです。
場所は家から目と鼻の先で、夫や私も時々歩いては近所のショッピングセンターに出かける道です。静かな住宅地で、手入れされた庭の花を楽しみつつ、もう一本の道より傾斜が緩やかなこともあって、よくその道を歩いています。しかし、静かな分クルマの通りも少なく、人通りはまずありません。子ども達も自転車でしょっちゅう通っているはずです。デイビッドはそこで襲われたのです。
「お前はどこに住んでるんだ? ウエストか、サウスか、イーストか?」と暴漢たちは聞いたそうです。ここはイーストですから、彼はその通り、「イースト」と答えると、いきなり殴られたそうです。「あいつら絶対、ウエストの連中だ」と、デイビッドの兄弟たちは言っていたそうですが、彼と犯人グループとは何の面識もなく知る由もありません。ただ、伝統的にオークランドの東と西が対立しがちなのは、ここに来て日の浅い私達ですら何度も聞かされてきました。
単純に言えば、アップタウンとダウンタウンの違いなのでしょう。しかし、実際に暮らしてみると、オークランドという街は非常にまだら模様で、高級住宅地と言われる場所のすぐ横に犯罪多発地区があったり、高級住宅地でもお屋敷のような家並みが突然途切れ、私たちの家のような元公営住宅だった積み木のような平屋が続いたり・・・と、面白いほどいろいろなものが共存しているのです。この辺もイーストですが、非常に庶民的などこにでもありそうな一角です。
せっかくこうしていろいろなものが共存しているのに、「イースト」「ウエスト」「サウス」「ノース」と無理やり色分けし、対立を生んでいるのであれば残念なことです。大好きなグレン・イネスも、「危ないとこなんでしょう?」と行ったこともなさそうな人に顔をしかめられる街ですが、イーストであることに違いありません。こんな事件があったからと言って子どもを家に閉じ込めておくわけにもいかず、彼らも近所の子も、何もなかったように遊んでいますが、こういう現実と隣合わせであることは家族全員が強く自覚しました。
(↑路上はいつでも子ども達の遊び場→)
それにも増してショックだったのは、デイビッド本人や目撃者が通報したにもかかわらず、とうとう警察が来なかったことです。警察の数々の不手際は、連日、新聞を賑わせている通りです。彼らは「あまりにも予算が削られて、とても人出が回らない」という理由を繰り返し、問題は「卵が先かニワトリが先か」という堂々巡りの印象が強いのですが、いずれにしても、通報したからといって彼らの助けが得られるとは限らないことを肝に銘じました。
2005年2月17日(木) いつでも取締役会
議題:携帯電話 「やっぱり業務用だったらプリペイドじゃなくて、契約にした方がいいよ。万が一失くしたら、名刺の番号から何から全〜部変えなくっちゃいけないでしょう?」「そりゃそうだ。」「ここって家の電話でさえ、ちょっと引っ越したら変わっちゃうんだから、携帯ぐらいずっと変わらない番号にした方がいいんじゃない?」「そりゃそうだ。」
議題:ノートパソコン 「外に出る以上ノートは要るよね?」「確かに。でもバイオの10万円切るヤツもう売り切れなんだよね。あれのスペックは○×◇△凸凹(あまり詳しく聞いてない)でさ〜、値段の割りにはスゴくいいんだよ。」「でも、買えないんじゃしょうがないじゃない。」「確かに。じゃ、こっちで買うか?!」
議題:ドメイン 「あまり急がないけど、あったほうがいいよね?」「メルアドも好きなのが作れるぞ。mikoto@sailan-shoten.com とかも作れるし。」「とりあえずメルアドはこっちのプロバイダに追加で頼んでおいて、ドメインは気に入ったのを探さない?ホームページもすぐにはできないし。」「OK。」
・・・などなど、西蘭商店の取締役会は円卓のダイニングテーブルで、いつでもOK。「議事録に書いとくか。時間:1時15分、議題:携帯電話、出席者:タカ、みこと、って(爆)」 とまぁ、こんな感じで何でも即断即決。庭で草むしりをしていても、呼ばれれば即、取締役に変身。「異議な〜し」となったら即日実行。すでに新しい携帯も(シムカードですが)、ノートも目の前にあります。新年に入って、何かと慌しいのはこのせいもあるかもしれません。
(←食事、子どもの宿題、お絵かき、ネコの昼寝、取締役会、ビーズ製作と、何でもこなす、西蘭家の円卓)
2005年2月13(日) チャッチャの入院
バタバタしているうちに9日の中国正月(農暦正月)を迎え、西蘭家も2005年に突入しました。と言ってもここはニュージーランド、正月の"し"の字もなく、まったくいつも通り。ジョギングから帰った夫が「"福"っていう字を張り出した家があったよ♪」とちょっとウレしそうだったぐらいで、中華系のお店もすべて平常営業。中華圏の暮らしがすっかり過去になったのを感じました。
その日は子どもたちが学校から帰った後、温の誕生パーティーを近所の子7人と庭でやり、恒例の巻き寿司やゲームで楽しみました。“ベスト・ガーデナー”というゲームをひねり出し、"指定した草を2分以内に一番多く抜いてきた子の勝ち!"とやらせたら、50本以上抜いてきた中学生もいて内心シメシメ^^v
(←風船割り。クリスはデビュー戦で苦戦^^;)
(→みんなご苦労♪)
最後はケーキで「ハッピー・バースデー・トゥー・ミー」(一応私も誕生日だったんで^^)とやり、お開きに。その後は猛片付けをして、温をスカウトに、善を友人宅に送り届け、7時から温の中学校の保護者説明会へ。NZのこうした学校行事は必ず夜で、夫婦で参加する家も非常に多いです。
(→NZでのパーティー恒例の餅投げならぬ、キャンディー投げ、「ローリースクランブル」)
翌10日は買い物から戻るとチャッチャの様子がおかしく(詳しくは
ピッピの説明
をどうぞ)、急きょ入院することに! まったく予想外のことでただただびっくり。祈るぐらいしかすることもなく、何をしていても気はそぞろ。しかし、早めに夕食を摂り、今度は家族全員で善の学校の保護者説明会へ。こちらも夜7時過ぎから。子ども達は他の子達と、校庭で遊びまくり。日が長いので助かります。温も母校でのひと時を楽しんでいた様子。
翌日にはチャッチャの容態はかなり安定したものの、血液検査継続のためもう一泊入院と言われ、かなりがっかり。入院と言っても夜は無人になる病院なので、強硬に「連れ帰りたい」と申し入れたもののだめでした。(前夜の点滴も無人のまま一晩継続だったので、本当に心配でした)。けっきょく、次の日のパーティーの準備&片付けに終始。
昨12日は朝から獣医にかけあって、チャッチャの引き取りに成功! チャッチャの血液検査の結果は香港時代から非常に高下が激しいため、先生がこれを訝って何度もやり始めたら切りがないのです。その辺の事情を説明して、先方は渋々ながらとにかくチャッチャ帰宅。ホッ=3=3=3 しかし、もう少し発見が遅れたら命が危ぶまれたところだったので、病院で命拾いしてくれたことには大いに感謝しています。
夜は香港時代からお世話になっていたキウイ3組をお呼びして、"チャイニーズ・ニューイヤー・パーティー"をやりました。それらしくお飾りを飾り、お正月のお菓子を出し、子ども用に赤い封筒のお年玉も用意し、テーブルクロスも赤ならナプキンも赤で、中華的オメデタ尽くし。
「できるだけ作り置きにしてキッチンに立たなくてもいいように・・・」と思っていたものの、急きょ友人の娘(9歳と8歳)に「エビ餃子(広東語ではハーガオ)」の包み方を教えることになり、2人と一緒にキッチンへ。目の前のセイロでどんどん蒸せるのも面白かったようで、2人は大喜び。その一家はさっそくセイロを買うことに(笑) 10時過ぎにお開きとなり、久々の再開とチャッチャの帰宅で楽しい&ウレしい一夜でした。
2005年2月12日(土) 突然ですが、バレンタインにはぜひ!
諸般の事情で非常ぉぉぉに忙しくしてますが、日時も押し詰まってきたので、
日記「さいらん日和」
始って以来の宣伝を少々。(「掲示板」にも同内容で書き込みましたが)
え〜、バレンタイン・ギフトをお探しなら、ぜひ
「バーニーズ」
へ! テーマごとに作られた最高級のエッセンシャル・オイルを贈って、大切な人とインティメートな時をお過ごし下さい(な〜んて、コピー風。これでも元広告代理店^^;)
実は、友人のアロマセラピスト(メルマガ
「サリーちゃんに導かれて」
のあのサリーちゃんです)が、イギリスのアロマセラピーの先駆者と共同開発したエッセンシャル・オイルが、「バーニーズ」の
バレンタイン・ギフト
になりました。(ジャ〜ン^。^♪)彼女が多大な年月、労力、資金をつぎ込んで作り上げた夢の結晶が、輝くオイルとなって詰まっている魔法の小瓶です。
私も2本別々の種類を試してみましたが、マッサージ・オイルで希釈せずに直接肌に塗れるのがまずうれしく(普通、エッセンシャル・オイルはラベンダーとティーツリー以外、肌に直接塗れません)、「これがオイル?」と驚くほどの浸透度でした。 ベトベトしないので何のためらいもなく、そのままベッドへGO!
「肌に塗る」のではなく、「肌が吸収する」というオイルの基本をつくづく実感しました。朝、肌がしっとりなのは言うまでもありませんが、一番の効用は眠りが深まること!(いくつも種類があって効用はさまざまですが、選んだ一瓶がリラックスするためのタイプでした。リフティング効果もかなりあり、翌朝、自分の膝小僧が違って見えましたよ^^;)
オイル・マッサージをしてあげた夫も「ぐっすり眠れた」と言い、普段オイルには興味がなかったので、かなり驚いていました。あの時の経験から、バレンタイン・ギフトで男性にオイルを贈るっていうアイデアは、「さすがバーニーズ!」と思ってしまった次第です。女性はアロマ・ポットで焚いたり、お風呂に入れたりと、けっこうオイルを日常使いにしている人も多いでしょうが、男性はまだまだでしょう。サプライズ効果を狙うならいいかも^^; しかもマッサージは誰でも好きでしょうし。(
男性専用オイル
もあります)
それよりも何によりも、枝が折れても、踏まれても、薬も手当てもないまま自然に蘇って、強く美しく生き続ける、植物の実力をオイルを通じて実感していただければと思います。この効用こそが植物のチカラなのです。花よりダンゴよりオイルで、大人なバレンタインを!
「バーニーズ」から遠い東京、横浜以外の方、この魔法の小瓶にご興味ある方、専用のHPもありますので、
こちら
から詳しくご覧になれますし、お求めにもなれます。 「○○フィロソフィー」などと、サリーちゃんのこだわりが随所にありますが、特に
「原材料へのこだわり」
は真骨頂だと思うので、オイルに興味のある方、ぜひご一読下さい。私はとても勉強になりました。
私も今年のバレンタインはこれで。「もう何年も、なにももらってないもんな〜^。^」とあきらめムードの夫に積年のご恩返しマッサージでもしてあげることにします。じゃ、かなり立て込んでいるので、また出直しまーす。日本の方はお寒いでしょうが、よい週末をお過ごしください。オークランドはけっこう蒸してますよ。
2005年2月7日(月) 誕生日バトル?!
今日は温と私の11回目と43回目の誕生日でした。しかし、クルマの車検に行ったり、シティーに行ったりして何ということはなく過ぎ、夜もハンバーグというごくフツーのメニューでした。どうも私のモチベーションが上がらずに、「何かしよう!」「ケーキを焼こう!」というところまでいかず、淡々とした1日でした。温もいつも通り一週間分の宿題を片付け、「別にいいけど」と飄々とした様子。でも、これじゃあまりにもかわいそうなので、明後日には近所の子8人呼んで軽くアフタヌーンティー・パーティーでもします(反省)
(↑中学生にも、11歳にもなりました)
でも、そんな時、我が家には重宝なムードメーカーがいます。言わずと知れた善ですが、彼はお小遣いからCDを買い、自分でラッピングをしリボンを結び、手書きのカードまで添えて大事な兄貴にプレゼント。親も温が選んだ2枚組のCDをプレゼントしたものの、ラッピングのみで弟の心のこもり具合には到底かないませんでした。善は「ケーキがないからプレゼントいつ渡そうか?」と、贈るタイミングまで一生懸命考えていて、親は猛省。私にはインスタント・タットゥーをくれました。Thanks Zen!
43歳になったからと言って急に何かが変わるわけでもありませんが、やはりなんとなく嬉しいものです。し・か・も、夫から無理やりもぎ取ったプレゼントは、「夕食後の食器洗い」という、結婚以来最大級のもの! 「誕生日の1日だけでしょう? ひょっとして1週間?」と、心配そうに聞いてきた夫ですが、「無期限よ!」と言ったら二度と返事がありませんでした。どうなるんだろうこれから? 固唾を飲んで見守ります☆_☆;
しかし、夫ももちろんこのままでは引き下がりません。「ボクもね、よ――く考えとくよ、誕生日のプレゼント。絶対、"○○無期限!"っていうのにしよう。何にしようかなー」と、言いつつキッチンに引っ込みました。彼の誕生日は今月23日・・・ひょえ〜@_@;
2005年2月5日(土) 今年の目標
え〜、突然ですが、西蘭家の今年の目標が決まりました!「来年こそ、"ウェリントン・セブンス"を見に行こう!」ということに。そのために子ども達は一生懸命勉学に励み(なぜ^^?)、親は一生懸命勤労に励みます(当然^^;) というのも、この2日間は"ウェリントン・セブンス"開催期間で、地上波テレビ局がほとんどの試合をほぼ生中継していたため、用事をしつつも大事な試合の時には(≒ほとんど全部)テレビの前に釘付けでした。
観客席にはビンラディンの一群がいるかと思えば、警察官、救急隊員、コックなどあらゆる制服組がいて、「香港セブンス」顔負けのコスプレぶり。ピンクやシルバーのギンギラのアフロ集団が踊り、この手のイベントにはお約束の全く似てない太目のプレスリーが歌い、ビキニのおネエさんがそこここに。ミニスカのナース、ゴム手袋まではめた完全手術着スタイルのドクター軍団も。普段は実用カジュアル一辺倒なキウイらしからぬ盛り上がりで、「いいじゃん、いいじゃん、行こう!行こう!」と、テレビの前でその気になる私たち。
香港スタジアムの「サウススタンド」(子どもご法度の異様な盛り上がりを見せることで有名なスタンド)がスタジアム全体に薄く広く広がったような大人な雰囲気で、来年はブラウン管の向こう側にいることを固く誓いました。(学校が始まってる時期ですが^^;ウェリントンはまだ行ったことがないので、二重に楽しみ♪)
(←「香港セブンス」の前座のミニラグビーに出た時の温。子ども達の後ろがサウススタンド。クリックすると大きくなります)
結果はニュージーランドがアルゼンチンに31対7で圧勝して優勝。勝利のハカ(ウォークライ)を見せてくれました。高校生の新星タマティ・エリソンが大活躍で、スター誕生の予感。線が細くて精悍な感じのロイ・キニキニラウは大量トライをたたき出し、雰囲気は違うもののジョナ・ロムを彷彿とさせました。個人的にはすごーく目がきれいなキッカーのオレネ・アイイが好印象。しかし、スタミナとスピード勝負のセブンスとなると、白人がいませ〜ん。アイランダーやマオリばかりで、決勝戦はスタメン全員がポリネシアンだったような? 妙なところでこの国の移民立国ぶりを実感しました。
2005年2月4日(金) その後
早いもので、姑一行が帰国してから一週間が経ちました。帰国翌日の30日は終日掃除・片付け&ビーズ製作、31日はクラフターにとって1年に1回の一大イベント、ミッション・ベイの「オークランド・アニバーサリーデー・マーケット」の本番でした。買ったばかりの3メートル四方のテントを携えて参加してきました(何かと高くつく趣味です^^;)とろけるような暑さでしたが、助っ人が3人も駆けつけてくれ、遠いところから訪ねてくれた友人、「今月の結婚式のために」と一式買ってくれた一見のキウイのお客さんなどなど、みなさんに支えられ、今回も楽しい1日でした。
(↑テントにもオリジナルのハンドペイント!さすがクラフト・マーケット。私もビーズ付けようっと♪)
2月に入るや、1日から温がレミュエラ・インターミディエートという中学校の1年生になりました。初のバス通学で7時半には家を出ます。入学式などというものはないので、初日といえども親の出る幕はなし。イライジャ家の後に引っ越してきた家族の三女エマが2年生に編入したので、両家でバス停まで送りました。マンモス校ながらスカウトの仲間もたくさんいて、なかなか楽しいらしいです。
(→折じわも新入生らしいま新しい制服の温。しわを見るには写真をクリック!)
2日からは善も小学校4年生に。こちらも始業式などなく、普段通り弁当箱を背負って元気に登校していきました。(教科書というものもありません)エマの弟のクリスが6年生に編入したので、こちらも一緒に登校。兄弟それぞれに新しい友だちができて助かりました。善は学校再開を首を長くして待っていたので、本当の本当に嬉しそうです。「今どきこんなに学校行きたがる子っていうのも珍しいよね」とは夫の弁。確かにそうかもしれません(笑)
善はさっそく、「メイポールダンス」のチームに入ってきました。これはヨーロッパに古くから伝わる初夏を祝うダンスで、中央に立てたポールから伸びる紐を輪になって持ち、踊りながら編んでいくというもの。五月に踊るので「メイ+ポール」なんだそうです。子どもの学校では25年も続いている任意参加の伝統行事のようです。男の子はヒラヒラの白いブラウスに羊飼いのようなズボンで踊り、善のこの格好はちょっと見ものです^。^ これから毎朝8時から50分の朝練だそうで、がんばれ善!
1ヵ月半ぶりにやっと大人だけになった3日は、急に夫と思い立ち、部屋の大模様替えをしました。引越し以来半年ぶりに物置小屋を脱した第3の部屋(約四畳半)が私たちの寝室となり、今までの寝室(約8畳+バス・トイレ付き)をオフィス兼ビーズのアトリエにしました。そのためベッドや机を移動させ、半日ガタガタゴトゴト。学校から帰った子どもたちがビックリするほどのゴチャゴチャぶりでした。まだ行き場のない物が廊下に並んでますが、今日中にケリをつけましょう。
そんな事情もあって、昨夜は節分ということをコロリと忘れていましたが、友人からのメールで気付かせてもらい、慌てて豆を撒きをしました。ただし、適当な買い置きがなかったので、「豆なんだからいいだろう。米よりまし・・・」と、撒いたのは、なーんと小豆@@! 今でも家の至るところに赤い粒々が落ちてます。(いいのか、こんなんで^^?) みんなで大声出して「鬼は外ぉぉぉぉ!!!」と窓の外に向かって怒鳴っていたら、自転車で通りかかった近所の仲のいいマオリの中学生が、我が目を疑うようにもう一度引き返してきて、よ〜く見ながら再び通り過ぎて行ったのにはちょっと笑えました。ニホンジン、何するものぞ^^?
風水では節分から干支が変わります。トラ年にとって何かと大変だったサル年がとうとう終わり、守護神のトリ年に突入しました。ガンに苦しんだピッピもおかげ様でピンピンしています。
良き2005年でありますように。
2005年1月30日(日) 姑帰る!
姑一行の「オークランドゆったり古希の旅(^^?)」は、昨日無事終了。お3人サマは帰国の途に。最後の最後までお天気に恵まれ、ロトルアへの小旅行も好評、ジャパンマネーの健在振りを見せつける(?)豪快なお買い物で、付き添った私たちもさんざん楽しませてもらった7日間でした。3人がニュージーランド・ファンになってくれたら本望です。
そもそもここ「さいらん日和」で姑たちの動向を事細かに書き始めたは、姑の一言がきっかけでした。「ねぇ、"インターメール"にあたしたちのことを書いて送っといて。そうすれば日本の○○さんや△△さんも私たちが何してるのか読めるんでしょう?」 パソコンをしない姑は頭の中でメール機能とホームページが一緒になったようなものを思い浮かべていたようですが、それを"インターメール"と称するとは、なんとも的を得ています。
「はいはい、送っときまーす♪」と請け負った、ガイド兼料理人兼ショッピングアシスタント兼にわか広報担当の私は、夕食が終わって夫が3人をホテルに送っている間に、片付けを済ませて日記をUP。ちょうど日本の方が午後から夜にかけて読めるような段取りでした。しかし、それもロトルア小旅行でストップ。今日はその後の足取りを一挙にUPしてみます。
DAY4 − ワイトモ経由でロトルアへ
姑のリクエストもあって太巻き器を使ってニュージーランド式太巻き(今日の中身は、卵、キュウリ、ツナ&干しシイタケの甘辛煮、カニカマ)を7本巻いていざ出発。(ところがご飯の水加減を間違えてしまったようで、ご飯が固くて大失敗。もう何百本も巻いてるのにこんな時に限って・・・涙)途中でネコを預け、一路南下してワイトモへ。
そこで有名な土ボタルを見ました。
(←鍾乳洞の中は撮影禁止なので入口の写真のみ)
以前テアナウでも見たことがありますが、相変わらず幻想的で美しいものです。いくらキレイでも虫のような小さなものにまで、下にも置かない慈しみ方をするキウイの人たちの優しさに相変わらず感動しました。 ガイドさんの態度や言葉尻には蛍を商売道具の金づると見なす様子は毛頭なく、ただただ小さな美しい存在に敬意を払い、彼らを守り愛し、世界中からやってくる人々に広く紹介していることを誇りに感じているようでした。
初めて見た姑たちは、もちろん大感激。真っ暗な鍾乳洞を小舟で行く演出にも痛く感動していたようで、寄り道して正解でした。夕方にはロトルアに入り、予約していた湖畔のホテルにチェックイン。姑の希望で夕食は麺になり、相変わらずのエスニック攻めでタイ・レストランへ。
DAY5 − ロトルア観光
朝は前回の旅行でも通っていたカフェでの朝食。姑は紅茶党ながらあとのお2人は大のコーヒー党でカフェはいつでもOKなので、助かります。姑は言わずと知れた(?)パン党です。パイやキッシュで腹ごしらえした後は、軍資金確保に銀行へ。到着が週末だったため両替を控えていたので、「いよいよニュージーランドドルをゲット!」と思いきや、銀行までの徒歩5分の道程の途中で、オープン前のおみやげ屋のショーウィンドウに3人とも釘付け。指を差してワイワイ言っているうちに店の人が中から開けてくれ、なーんとその日一番のお客さんに。突然、全員がTシャツを買い始め、夫が一人で銀行に走りました。こまごましたおみやげも買い、夫の横付けしたクルマでそのまま観光へ。
最初に訪れたのは生きたマオリ文化村「ファカレワレワ」(通称ワカ)。ここは観光施設と居住空間が完全に融合した場所で、今でも70人がこの村で暮らしているそうです。彼らが実際に使っている共同露天風呂(いろいろな水温に分かれています)や共同炊事場(温泉を利用した蒸し料理場)などを見学し、ガイドのいとことおばが中心にやっているマオリショーを見学。
(↑吹き上げる間欠泉) (ガイドさんと彼にそっくりな先祖の彫刻↑)
演出が少なく素朴な、その分彼らの温かみも誇りも感じる案内やショーに、全員大いに感激。最高で30メートルも吹き上げる豪快な間欠泉もじっくり見てきました。村のカフェでマオリ料理の典型、蒸し物中心のハンギ料理のランチを摂り、予想外に充実した半日でした。
午後は羊の毛刈りショーへ。「物怖じ」という言葉が辞書にない善が、何でもかんでも手を挙げてボランティアを申し出ては、子羊にミルクを上げたり、牝牛の乳搾りをしたりと大活躍。温も昔ながらの手回しの重い機械を回してミルクから生クリームを作ってみたり・・・と、存分楽しみました。孫があれこれやっているのですから、姑も大満足。自分もステージに上がることにやぶさかではないタイプなので、さぞや楽しかったことでしょう。私はあらゆる種類の羊クンたち(角がクルクル巻いたタイプとか)が触れてこれまたウレし!
(↑善が大活躍)
本当に動物ってカワイイです。その後はお買い物、夜は地中海料理へ。
DAY6 − ティラウ経由でオークランドへ
最終日は「荷物がいっぱいになったので昼までにホテルに帰って荷造りしたい」という姑を、「どうせまだ買うんだから、今からやってもムダ」と説得して、「ロトルア博物館」(通称バス・ハウス)へ。
(←今のトップの写真の場所です)
博物館好きの西蘭一家と来た日には、「ポリネシアン・スパ」(ロトルアで最も有名な温泉。今はなき「船橋ヘルスセンター」ってとこでしょうか^^?どちらも行ったことはないんですが)はなくても、ここは外せません。
「バス・ハウス」というくらいで、元は政府の肝いりで約100年前に建設されたニュージーランドのスパの草分け的存在だった建物です。さまざまな変遷を経て今では博物館になっています。2回の世界大戦後は、イギリスから傷痍軍人の高官がわざわざ湯治に来たほど名を馳せていたそうですが、その後、健康管理の潮流が変わったことで、即効性のない温泉療法は廃れてしまったようです。スパ・ブームの今、もしもスパのまま残っていたら、さぞやお洒落な人気スポットになっていたことでしょう。マオリ文化の細かい説明、貴重な映画(30分)もあり、姑たちはマオリ文化と民族にとても感銘を受けていた様子。私たちも大のポリネシアン(マオリ+パシフィック・アイランダー)好きで、血は争えません(笑)
ランチはオークランドへの帰り道の途中にある、これまた西蘭家お気に入りのティラウへ。ここは「鉄の町」として知られ、町中にトタンを利用したアートオブジェが散らばるステキな場所です。アーティストやクラフターのいる町って、本当に匂いでわかります。こういうクリエイティブな場所にいるだけで、ホッとしてくると同時に彼らに会ってみたくなります。
(←かわいい看板が至るところに)
トタンで巨大なイヌを象った観光案内所だけでも、立ち寄る価値大です。(経営者夫婦のホスピタリティーも見上げたもので、トイレの中にまでそれが感じられます)
(→この中がオフィスとショップに)
ふらっと入ったカフェもおいしく、前から気になっていた店ではオーナーとも立ち話ができ、2時間くらいの滞在にしては大きな充実感。姑たちもさっそくお買い物三昧でこれまた満足。その後はネコをピックアップして家路へ。
DAY7 − オークランド滞在総仕上げ
実質最終日となったこの日。朝は10時半スタート。姑は夫の幼なじみで最近30年ぶりの再会を果たした友人とモーニングティーへ。私はあとのお2人に付き添って買い物へ。免税店、おみやげ屋、普通の洋服屋など次々回って、約2時間一本勝負のお買い物は豪華絢爛。すでに娘さんやお孫さんにさんざん買っていたお2人、さすがにアイデアに尽きたようだったので、カジュアル・ファッションだったら今のところ右に出るものがない人気ブランド「ロキシー」にお連れしたところ、お2人とも大ブレイク。この辺、すぐにピンと来るセンスと素直さがいいですね。頭が柔らかーい証拠。私も70歳になってもこうありたいです。「あら、このTシャツ、すそがかがってないわ」なんて野暮は言いっこなし。
お昼に全員で落ち合い、なーんと姑の提案で日本のラーメン屋さんへ。「コーンウォールパークのガーデン・レストランかトルコ料理でケバブでも・・・」と思っていた私たちにはサプライズ。なんでもけっこうですよ、みなさんがご満足なら。おかげで久しぶりに(半年振り?)ラーメンを食べました。たまに食べるといいですね。子どもはやや食い負け気味。午後は真剣な荷造りのために再び別れ、私は買い物&夕食の用意。夜は再びうちに集まり、中華風尾なし頭つきタイ(笑)や、しまアジのお刺身でさっぱり系エスニック&やや和食。さんざん旅の思い出を語り合いました。片付け後、姑が大好きなマフィンを焼き、翌日のお弁当用に最後の太巻きを用意(今度は上手くいきますように・・・祈)
DAY8 − 姑帰る
朝は6時前起きで用意を済ませてホテルへ。おみやげでパンパンになった荷物を運び出しクルマに詰め込み、太巻きとマフィンを全員に渡して7時過ぎにはお別れ。名残惜しい限り。本当にみんなで笑い転げた、修学旅行のような1週間でした。みなさんに元気で最後まで楽しんでもらえたのが何よりでした。夫と善が代表で送ることになり(7人乗りのクルマでも荷物があるので私たちは乗れず)、温と去っていくクルマを見送りました。さわやかなオークランドの朝の空気が、身体の芯まで染み入ってくるようでした。
それから2人とも初めてだった電車で帰宅。住んでいるメドウバンクまでは2駅で、駅からうちは5分もかからないので便利なもんです。
(←無人のメドウバンク駅。住宅街の中に隠れるようにあります)
旅行から帰って以来の一大洗濯&片付けの傍ら、私は月曜に迫ったクラフトショー出店のために瀬戸際の作品作り、子どもは数日後に始まる学校の準備と、普段の生活に戻るべく舵を取り直しました。イライジャ一家の後に越してきたのは、子どもが5人いるパケハ(マオリ語で「白人」)とマオリ夫婦のご一家で、子ども達はさっそく末の2人と炸裂したように遊び出し、いきなり家の庭を子ども達が走り回る、いつもの生活に戻りました。
2005年1月24日(月) 姑来る!DAY3
午前中はオークランド博物館へ。1階のマオリやパシフィック・アイランダーなどポリネシアンのコーナーをゆっくり見てから上の階へ。みんな3メートル近くある絶滅した珍鳥モアにびっくり。確かに初めて見ると迫力あります。樹齢800年のリムの原木といい、キウイの卵といい(身体の割りに大きいんです!)、「何もかも大きいニュージーランド@@!」のイメージがどんどん刷り込まれていったようで^。^; 3階のゼロ戦には年齢が年齢だけに、3人ともしんみりでした。最後に戦争の犠牲となったキウイたちの慰霊碑にお参りして博物館を後にしました。
その後はパーネル → マウント・ウェリントン → グレン・イネスと、お買い物一色に。紙ナプキンやランチョンマットの種類の多さと手頃な値段に、いたくご満悦。アンティパスト用のドライトマトなど各種オイル漬けやクスクスなど洋食食材(アフリカかな?)の安さにも感激の様子。一応、ここも西洋社会やってるもんで^^;、この手のものの手軽さには私もいまだに感謝してます。ありがたや。
し・か・し! 彼女たちの買い物のほとんどがお土産という事実に、今さらながら仰天です。コムハニー(蜂の巣に入ったままのハニー)を20個だの、キャドベリーのチョコレートを20箱だのもうもう想像を絶する量。友人親戚を始め、マンションの管理人、病院の先生&看護婦、○○の先生、○○の会のメンバー・・・と、「果たしてこの人たち全員が、彼女たちがNZ旅行に来ていることを知ってるんだろうか^^?」と思うような人たちまで・・・。すごぉぉぉい! 標準的日本人生活に疎い夫と私は、ただただびっくり。「この調子だと最寄りの駅の駅員さんにも・・・とか言い出すんじゃないか?」とは夫の弁。
ともかく、ゲストがご満足なら、ホスト・ファミリーとしてこれ以上のことはないので、あっちの売り場、こっちの売り場と一緒にくっついて回りました。ちなみに私が買ったのはザル1つ。夜は再びうちでセルフのサンドイッチ。その間も、「あの人にはチョコレート、この人にはハチミツ」と、お土産の見直しに余念がありません。数え終わった頃に、「そういえば○○さんは?」と誰かが混ぜっ返すと、「忘れてた!△△さんにハチミツだから○○さんには・・・」と、再び数え直し。本当にご苦労さまです。明日からはワイトモ経由でロトルアへ。
2005年1月23日(日) 姑来る!DAY2
姑たちの「オークランドゆったり古希の旅(^^?)」2日目は、「イーデン・ガーデン」からスタート。花が好きな姑の友人2人がガーデンツアーを希望していたものの、ピッタリのツアーがなく、「とにかくたくさん花のあるところ」ということで、ここをピックアップ。かなりの陽射しだったにもかかわらず、木陰が続く遊歩道は爽やかな涼しさで、写真を撮りつつ、いろいろ教えてもらいながら1時間半の散策を楽しみました。とにかくどの花にも木にも、「大き〜い!!!」と、感嘆符の連続でした。
(→シダがきれいでした)
その後は「マウント・イーデン」へ。温がカルデラの火口まで行って(と言っても草で覆われた緑のすり鉢なんですが)戻ってくるという芸(^^?)を披露。一応、わざわざ整備されている道ではなく、かなり深い草の上を往復するところにスカウトの意地が? 天気も良く、ワンツリーヒルと違って足元まで住宅街が広がっているため、オークランドが手に取るように見えるところが良かったです。再び「イーデン・ガーデン」に戻り、ガーデン内のカフェでアウトドア・ランチ。木陰での心地いいひと時でした。
(↑美しい家並み)
午後はデボンポートへ。私だけ帰宅し、片付け&夕食の準備に。どう考えてもお土産を収納する場所がなく、片付けたばかりのビーズ部屋に袋がぎっしり並んでいる状態です。再び開かずの間になるのか(笑) でも今度は食べてしまえばいいので、気が楽^^A 夜は軽めのフィリピン料理に。主婦業50年近い熟練主婦に和食を出して若年者の恥をさらすより、徹底的にエスニックで煙に巻く方がヨメとしてはまだましか^^? どちらにしても、西蘭家は普段からこんなチャンポン料理ばかりなんですが。
明日は博物館へ。
2005年1月22日(土) 姑来る!
真夜中に一番風呂に入ることで名を馳せた(?)姑が、長年の友人2人とオークランドにやって来ました。朝8時半のお迎えに始まってこれから1週間のフルアテンドです♪ みなさん70歳前後、機中の睡眠2時間だというのに、いや〜、血色のいいこと、いいこと(笑) まったく疲れも見せず、初日から絶好調。スーツケース3個にギッシリ詰めてきてくれたお土産で、ただ今西蘭家のリビングは足の踏み場もありません。いきなり"日本食成金"^^;になってしまって、福砂屋のカステラ(夫の大好物)から、手焼せんべい(私のリクエスト)、北海道の利尻昆布、ふりかけ山盛り、マルタイ・ラーメン、カレー各種までなんでもありまーす。食べてしまう以外、どこにしまえばいいんだろう?(ボソッ^^A)
子どもと夫は去年帰国しているものの、飼い猫ピッピの看病をしていた私は帰っておらず(伊勢神宮のお参りにだけは後日行きましたが)、1年半ぶりの再会です。「あ〜ら、みことさん、お掃除が・・・」などと言って、人差し指でその辺をツーッと拭いてみたりする姑では絶対にないのですが、彼女の訪問をメドに引越し以来開かずの間だった部屋を徹底的に片付けたのは、我ながらちょっとウレシイ出来事でした。家具を買っていないので、「もうこれ以上はムリ〜<<<(叫)」という限界まで、あっちこっちと収納しまくり、自分なりに限界を極め、さすがにスッキリ。納得づくで、最終ガレージ行き段ボール2箱、部屋でキープする段ボール3箱にまとめ、引越し以来の懸案にケリが付きました。姑たちが帰ったら、ここにテーブルを入れ、本格的なビーズ部屋にします♪
ホテルのチェックイン時間までかなり間があったので、うちで軽く台湾料理ランチ。それからシティーのホテルへ。その後、まずはワンツリーヒルへ。コーンウォール・パークでやっていた結婚式を遠目に見せてもらい、ポンソンビーで"勝手ガーデンツアー"(適当に外からお庭を拝見^^; 姑以外のお2人は趣味が押し花で、かなりのキャリアです)。
(←最近、結婚式づいてる西蘭家?)
いつもの「カフェ・セザンヌ」でチャウダーやナチョスでライト・ディナー。ついでに近所のスーパーを散策。みんな「安い、安い」を連発してましたが、私たちは「そうだっけ???」 さすがに子ども以外全員ヘトヘトで、今日は早めに解散。明日からの本格アテンドに備えます。しかし、みなさん元気いっぱい!
(→ため息が出るようなステキなお家がいっぱいある一角。クリックすると大きくなります)
2005年1月13日(木) イライジャ家の引越し
とうとうその日が・・・。本当は今日の予定だったのですが、長女のアリシャが急に体調を崩し病院に駆け込む事態となり、明朝5時にここを発つことになりました。子どもたちは今日1日目いっぱい一緒に遊び、昼はうちで中華麺ランチ。
(←道路を塞ぐようにデーンと停まった引越屋のトラック。みんなでサッカーもこの庭ではこれが最後)
夜は荷物を運び出してガラーンとしたイライジャ家のベランダに近所の子ども約10人が集まり、みんなで太巻き寿司ディナー。12本(≒100個)巻いたはずなのに瞬間蒸発でした@@! イライジャは本当の本当に太巻きが好きで、明日の朝ご飯にも差し入れる約束です。これが最後かと思うとお安いご用。さすがに10合炊きでも足らず、2回に分けて12合炊きました^^; 今夜は彼と弟のノネが泊まりに来ています。明日はみんなで4時半起きです。
今週はオークランド在住の夫の幼馴染のご夫婦が遊びに来てくれたり(なんと四半世紀ぶりの再会!)、1ヶ月ぶりに皮膚科に行ったり(日光皮膚炎は一進一退)、今度の日曜日のセント・へリアスでのクラフトショー参加が突然決まったりで(売り物があるんだろうか^^?)、なんとなくワタワタしていました。その間に、子ども兼来客用トイレが壊れ、「お客さんがあるし、子どもの友だちのお泊りも予定してるのにどうしよう」とうろたえていたら、珍しく(笑)夫が自力で修理してくれ、不動産屋に連絡せずに事なきを得ました。
たいして時間もありませんが、これから日曜まではできる限りビーズ漬けとなって作品作りに励みます。メルマガ連載中の
オタラ・マーケット
とはかなり趣の違う、住宅街でのクラフトばかりのこぢんまりしたマーケットですが、どうなるか♪ こういう場所では他のクラフターに会えるのも、大きな楽しみの一つです。今月31日(月)のオークランド・アニバーサリーデー(「オークランド市民の日」ってとこでしょうか?)には、クラフト・ブース約100店を集めてミッションベイで行われる年間イベント「オークランド・アニバーサリーデー・マーケット」に参加することにしました。物は試し。なんでもやってみます。
2005年1月9日(日) 鉄人料理?!
昨夜は「せっかく温も帰ることだし、腕によりをかけて何か作ろう!」と、なぜか「ピロシキ」に挑戦。この"ロシア版中身肉まん揚げパン"(当たってるでしょう^^?)、パンも焼いたことがない私にとっては、生地をこね、中身を詰め、しかも揚げるという三重苦。その上、作っている本人は揚げ物が苦手・・・^^b 「これって運動嫌いなマラソンも走ったことがない人が、いきなりトライアスロンやるようなもんだよねー」と思いつつ、強力粉でその辺を真っ白にしながら、こねたり伸ばしたり・・・。
「こんなに面倒なんだからいっぺんにたくさん作ろう!」と、計26個分を用意したはずなのに、伸ばして&詰めて&揚げて・・・が段々面倒になって、パンの生地は尻上がり調にブ厚くなり、最終21個に^^; いつものテキトー&チカラづくで、なんとか出来上がり、家族にも好評でした。「絶対キャンプで食べられないようなものが食べたい。さっぱりしたおソバとかぁ・・・」と言っていた温も3個をペロリ。「今度は
カレーパン作って♪」と言われてますが、あ〜面倒(汗)
今日はお天気にも恵まれ、朝から家族総出でキャンプ用品の後片付け&洗濯。「いったい何してきたの?」と思うほど泥だらけの服がたくさん。本人は「"世界遺産"の泥水の中泳いだ」とか「うなぎ取りさせられた」とか、想像を絶することを言ってましたが^^; 午後は夫と善はタッチラグビーへ。さすがに温はお休みして、鼻歌混じりに丁寧にスニーカー洗いなどしてました。私は「開かずの間」のまま年を越した3つ目の部屋をなんとしてもビーズのアトリエにすべく片付け中
(←まだまだほんの一部ですが)
・・・と、久々家族揃ってののんびりした日曜日。
2005年1月8日(土) 温の帰宅
昨日は先日の結婚式のネット上でのアルバム作りに励み、コメント付きで75枚の写真をアップしたものの、香港時代の10分の1のスピードしかないニュージーランドのブロードバンドではスライドショーにならず。(時間内に読み込めない写真は飛ばされてしまいます)「ダイアルアップの人はどうなる?」と思いつつも、新婚旅行中の新郎新婦のメールボックスに送っておきました。
今日は朝からイライジャ家の引越し前ガレージセールへ。手伝っているような油を売っているうようなでしたが(笑)、デザート用グラスとアイランダーっぽいアクセサリーを買ってきました。私のお古のナイキがイライジャ家に行き、ほとんど物々交換(笑) 「本当に引っ越しちゃうんだなぁ」と今さらながらしんみり気分。せめて彼らの使っていたものを手元に残し、使うたびに彼らを思い出しましょう。
夕方とうとう温がキャンプから帰ってきました! メールくらい来るのかと思っていたら、ネットカフェに入れるのはリーダーだけで、温たちのような下っ端は自腹で長距離電話でもしない限りは音沙汰なしだったそうで。しかし数千人の集まる一大キャンプ「ジャンボリー」は台風並みの暴風雨をものともせず(さすが?当然?朝起きたらテントがなくなってた人もいたそうですが^^;)、無事終了。温は心なしかしっかりして帰ってきました。でも11日間英語どっぷりだったせいか、一瞬ですが日本語に詰まってました(笑) これからお土産話を聞くのが楽しみ♪
(←お帰り〜♪)
2005年1月7日(金) 迷子ママ
昨日はお泊りに行っていた善をピックアップして、今年初めての買い物へ。新鮮な魚をあれこれ買ってきました。温がいないこともあり、普段よりやや少なめ。気がつけば家族4人のうち食べる量が一番少ないのが私だったりすることも多々あり、大人2人、子ども2人分と思っていると、計算が狂います。お天気は相変わらずはっきりしないまま・・・。
今日も朝から曇り空で、日光皮膚炎になってしまったらしい私でも、「出かけて大丈夫かな?」という空模様。(本当は紫外線の強弱はお天気と関係なく、雨の日でもUV警報が異様に高い日があったりするのですが・・・)そこで夫と息子の毎朝恒例の3キロジョギングに初参加。距離はたいしたことなくても、けっこうアップダウンのある道で、1キロも走ると背中が猛烈にかゆくなってきました。(どうも太陽光線そのものより、体温が上がるとかゆくなるようです。なのでシャワーやお風呂でもかゆくなります・・涙)
折り返し地点の大通りで彼らと別れ、少々クールダウン。そうすると、かゆみも引っ込むから不思議です。1人になってからは「彼らを追って大通りを走るよりも・・・」と、元来た住宅街を戻ることに。ところが、途中にある墓地の方角を示す標識がズレていたのを知らず、標識通りにどんどん行ってしまいました。「こんなに遠かったっけ?」と思いながらなおも行くと、「うん?この家は先日のハイキングの帰りに見た家。確かうちとは逆方向!」と気付き、慌てて戻ってきたものの、どこでどっちに曲がったらいいのやら? 完全に迷ってしまいました。
けっきょく、関係ない道を1キロ以上往復してしまい、墓地の標識があるところまで戻って無事帰宅。途中、インド系のトラック運転手に「ウォーキングかい?今日は打ってつけの天気だね」と声をかけられても、まさか「迷子なの。道教えて〜!」とも言えず、力なく手など振って黙々と歩いてました。夫は「あの道でどうやって迷うんだ?善だって1人で帰って来れるよ!」と口あんぐり。諸般の事情でジョギングは1日坊主になりそうです。
(←家の近所のかわいいアパート。これを見に行ったわけじゃないんですが^^;)
2005年1月5日(水) 末永くお幸せに
4日まで正月休みだったニュージーランド。4ヶ日の最終日はもうすぐ引っ越してしまうイライジャが泊まりに来て、12時近くまで善と遊んでました。2人とも最後は力尽きたように、電気をつけたまま寝てました(笑) イライジャは毎日8時就寝、善も9時半消灯なので、さぞや眠かったことでしょう。
今日はとうとう友人の結婚式の日。久々にカクテルドレスを着込み、スーツ姿の夫と(ここではタキシードは着ないそう。よかった事前に聞いておいて。そうでなければかなり浮いた存在に^^; ジーンズやサンダルなどかなりスマート・カジュアル(かな?)の人も)、学校の制服を着た善と3人で教会へ。その後は教会のガーデンでのアフタヌーンティー、夜はデボンポートでのダンス&ディナー(子ども不可で善はクラスメート宅にお泊り)と、延々8時間近い一大イベントでした。
(←この結婚式のテーマカラーだった「チョコレート・ブラウン」そのままのケーキとバラの生花でできたお洒落なウエディング・ケーキ)
お天気にも恵まれ(花嫁がクルマに乗ったとたん、ザーッと雨が降ったりしましたが新郎新婦はとうとう濡れることがありませんでした)、式もその後の披露宴もアットホームな
雰囲気でありながら、とても凝ってお洒落なもので、本当にいいお式でした。ディナーは150人近い人がいたのに、4分の1は海外や南島から飛行機で駆けつけた人たちで、彼女たちの人徳の篤さがしのばれました。私が贈ったアクセサリーがこの晴れの日を飾る一助になれたことを本当に嬉しく思います。いつまでも末永くお幸せに!
(→子どもとも気さくに踊るきれいで優しい花嫁。写真をクリックして拡大すると、彼女の背中のアクセがちょこっと見えます^^;)
2005年1月3日(月) ひっそりサイト・リニューアル
日本の正月3ヶ日のお休みは世界的に見ても長い正月休みだと思ってましたが、ニュージーランドはその上を行く4連休。まだまだ世間はの〜んびり。子どもが夏休み中というのも休み気分に拍車をかけているようです。近所でも親戚の子が泊まりがけで遊びに来ていたり、離婚家庭では休み中は両親それぞれの家に半分ずつ滞在するせいか、しばらく姿が見えない子がいたり、いろいろです。しかし、親戚もいなけりゃ、離婚家庭でもない西蘭家はま〜ったくいつもと同じです。
今日はホームページのプチリニューアルに励みました。普通、サイトのリニュともなれば「ステキですねー♪」「見やすくなりましたね」などという感想が寄せられるよう、「あっ!」と驚く大々的なものがほとんどなのに、西蘭家に限っては、リニュが目立たないよう、できればバレないように・・・と、ちまちま、コソコソ。その割には「なんとしても元旦から移行する!」とミョーに夫が燃え、かなりやっつけ仕事のままUPしてしまい、ぜんぜんコソコソにならずバレバレ^^? けっきょくUPしてからいじくっている状態ですT_T
今どきならブログに移行すべきところなんでしょうが、私がブログ敬遠派で(「ミニ西蘭花通信」は掲載サイトがブログへ移行したために休載してしまったほど)、懸案にもならず。ひたすら今までのやり方を踏襲しようとする、このオールドファッション^。^; 日頃はことごとく意見が合わない西蘭夫婦ですが、なぜかこういう世間に背を向けたことに対してはバッチリ意見が合うため(爆)、夫も黙々と協力してくれました。
この日記は今までの
「トラウマ日記」
を改め、
日記「さいらん日和」
になりました。「トラ」「ウマ」は夫婦それぞれの干支だったんですが、ここ最近は「ウマ」がまったく書かなくなってしまい(サイトを始めた頃の日記は「ウマ」がすべて書いていたという事実を、ご存知の方はもういらっしゃらないでしょう)、「トラトラ日記」になっていました。それで看板だけ付け変え、中身は"そのまんま"ということに^^; 移住前の記録は
こちら
に移行しましたので、併せてよろしくお願いしまーす。
2005年1月2日(日) 初歩き
温は相変わらず長期キャンプ中。暇を持て余した善はなーんと日曜日だというのに朝7時からイライジャ家に遊びに行き、見るに見かねた一家が教会に連れて行ってくれました(恥) 善は次男のせいか、とにかく一人遊びというものができず、常に誰かと一緒にいないとダメなタイプ。それが読めたので昨夜寝る時に「8時半までは誰かの家に行っちゃダメよ」とクギを差しておいたのに、なーんとまだ私たちが寝ている間から外に出てしまっての掟破り。叩き起こされたイライジャ家もさぞやビックリだったでしょう^^;(うちにも7時台からけっこう近所の子が来ますが、躾に厳しいイライジャ家の子だけは来ません^^;)
思いがけず夫と2人だけになり、急きょ「東オークランド再発見ハイキング」へ! せっかく住んでいてもいつもクルマで素通りするばかりのこの一帯を歩いてみようと、朝から焼いていたパイをランチ代わりに持ち、住んでいるメドウバンク → ミッションベイ → セント・へリアスをぐるりと回って、再び歩いて帰ってきました。途中ステキな家やお庭を写真に収めたりしながらののんびり歩きで、全行程4時間半。ビーチではランチ・ブレイクとコーヒー・ブレイクもとって、ゆっくりしてきました。
(↑セスナ機が引っ張っていたガン協会の紫外線への警告。しかし、高すぎて望遠レンズでやっと文字が読めた状態)
丹精されたお庭や凝った造りのお家を間近で見られ、目の保養になりました。お金をかけていても手をかけていない家というのは、おのずと見えてしまうものだとつくづく感じました。逆に古くても、小さくても手厚く手入れされていると、家全体が輝くように生き生きしているのには本当にびっくりしました。「やっぱり家は生きている」というのを実感した午後でした。ある家を見て「いい家だね」と、夫と同時に言ってしまうことが何度もあったのは、その違いがたやすく見て取れるからなんでしょう。
(↑売りに出ていたチューダー調の豪邸)
日光皮膚炎らしき症状が出てから初めての長時間外出でしたが、特にトラブルもなくホッ。善は夜もイライジャ家だったので、2人だけで中落ち丼(3人分だったので中落ちたっぷりー♪)。ちょっと得した気分のお正月2日目。
2005年1月1日(土) 静かな新年
ニュージーランドで初めて迎えた新年。街はクリスマスで全エネルギーを使い果たしたらしく、実に静かなお正月(かつてのパリもそうでした)。しかも、今年はスマトラ沖地震後の巨大津波の犠牲者への哀悼から、世界的にひっそりとしたカウントダウンになり、きっとここも例年より静かなのでしょう。連日新聞1面の津波報道に接していると(すでに1週間連続です)、とてもシャンペン抜いて盛り上がって・・・という気にもなれません。
子どもたちには新年も何もありません。いつも通り5、6人であっちの家、こっちの家、その間の通りとそこらじゅうに出没しては、1日中遊んでいます。2005年の初ランチはうちで「ソーセージ・シズレー」に。これは「ニュージーランド版ホットドッグ」でコッペパンの代わりに食パンでソーセージを挟むという大胆な食べ物@@!(多分、オーストラリアやイギリスにもあるんでしょうが、香港では見たことがありませんで
した。最初に見たときは仰天しました)。
紙ナプキンでつかむ要領で、食パンでソーセージを持ち、上からケチャップをかけてでき上がり。ちょっと豪華なら(?)炒めた玉ねぎが付きますが、子どもにはそんなものはナシ(あっても嫌がられるだけ)。5人×2本で10本のフランクフルトが、一瞬で消えていきました。
午後は遅れに遅れていた善へのクリスマス・プレゼントの自転車を買いに、夫が郊外のボタニーまでクルマを走らせてくれ(実は商品に難ありで2往復しました、オイオイ^^A)、「火の玉小僧」は新年早々、念願の「暴走小僧」デビューです。